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藤四郎のひつまぶし

プロの素人によるブログ

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考察記事って書くのにちょっと敷居が高いのかもしれない

アニメ 思想 考察

これらのツイートを読んでいて、アニメの考察記事ってもしかしたら感想記事などに比べて敷居が高いのかもしれないなぁ、などと思いました。

考察記事に必要なこと

考察記事は問題(仮説)設定、材料収集、検証、結論が核と私は思っています。
作品を見ていて何らかの問題・仮説が思いつき、それを解決するための材料を集め、検証して結論を出す。
このうち問題設定、材料収集にはある程度のハードルがあるように思います。

学校では本格的に教わることが少ない問題設定

小中学校、そして人によって高校、大学と私たちは10年以上を学校で過ごしますが、問題設定について教わる機会はそれほど多くありません。
学校での教育は知識の理解と教養を身につけることに多くを割かれています。

一部の人は課外活動を通じて問題設定などをすることもあるかもしれませんが、多くの生徒は一部の人が設定した問題に取り組むことが多いのではないかと思います。

それに対して考察記事は自分で問題を設定しなければなりません。

自分が気になった部分を取り上げれば良いのですが、自分が気になった部分が他の人に魅力あるものかは別の話で、魅力がないと自然と読む人の数は限られてきます。
魅力ある問題を設定するのはそれなりに経験やカンが必要です。

話数が進むに連れて膨大になっていく考察材料

アニメであれば最初の2,3話の時点の考察はそこまで難しいものではないと思っています。
全部の材料を探すのにはしっかり見なおしても1,2時間程度。
そこから自分の問題解決に使える材料を集めればよいのです。

それが1クールアニメが終盤、10話ぐらいになれば、最初に放送した話数は細かいところを忘れており、すべて見返そうとすれば5時間といった時間を必要とするでしょう。
そんな長丁場になれば、メモを取るなどしないと記憶があやふやになってしまうかもしれません。
もちろん問題がぱっと思いついた時点で記憶を頼りに考察をしても良いですが、いざ記事を公開して「いや、それ考察するまでもなく○話の××でわかるじゃん」とか指摘されるとわりとダメージがあります。

そのため後半に行くにつれて考察は時間と情熱を必要としていく傾向があると思います。

論理立てた説明のための材料の切り捨て

おもしろそうな材料が集まっても、いざ文章に盛り込もうとすると上手く論理がつながらない、あるいは助長になってしまうことがあります。
そのような材料にこだわっていると上手く記事がかけない、あるいは書けても散漫な印象を与える記事になってしまいます。

時間をかけて集めてきた材料を捨てなければならない、場合によっては何時間もかけて集めた材料を全部窓から投げ捨てなければならない。
そんな経験を一度でもしていれば腰が重くなることも頷けます。

先行者の存在によるフォーマットの確立とモチベーションの維持

とここまで考察記事の敷居の高さの話をしてきましたが、それらを緩和する方法があります。
それは複数人で考察をしていくことです。

一回面白い考察記事が公開されれば、問題設定から結論まである程度フォーマットができます。
そうするとその記事をお手本にする、あるいはその記事に対抗する、もしくは刺激を受けて別の角度から問題にあたるなど他の人が考察記事を書きやすくなります。

また一人で考察記事を書き続けるのは精神力を必要とする場合がありますが、複数の人が書いているとそれに刺激を受ける、対抗心が燃える、励まされるといった良い影響を受けることも多いです。

というわけでてーきゅうの考察記事を書いたらたなみ (tanami_t)さんに教えることにしましょう。
上記の考察記事がハードル高いかも…という話は主に30分アニメの場合について。てーきゅうは突っ込みどころ=疑問点が目白押しで問題設定に困りません。
またショートアニメなので10話じっくり見ても1時間かかることはないでしょう。それでいてみっちり情報が詰め込まれているので考察するにはピッタリです。

ぜひともてーきゅう考察記事を公開してたなみ (tanami_t)さんを喜ばせましょう。