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藤四郎のひつまぶし

プロの素人によるブログ

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寒くて熱い場所で手に入れたものは

雑記 ライトノベル アニメ 思想

突然だが私はほとんどキャラクターグッズというものを買わない。
それどころか無料配布のポストカードやクリアファイルなども貰わないことがほとんどだ。
何かのおまけでチラシと一緒に買い物袋に入れられた時などは商品を取り出したら袋と一緒に捨てることすらある。
だが、最初からそうだったわけではない。
関東にやってきて2,3年が過ぎた頃の私は積極的にグッズを買うようなことこそあまりなかったが、無料配布のものを積極的に受け取るぐらいにはグッズに対して温かみのある態度をとっていた。

例えば東京国際アニメフェア
そのようなイベントではクリアファイルやショッパー、ポストカードなどの無料配布などが行われることも多い。
スタッフからそれらを差し出されれば受け取ったし、時に配布時間が決まっているそれらのために計画をねったりもしていた。
中には何らかの対価を支払い、ポスターを手に入れた作品もあった。

イベントが終われば家でバッグの中から取り出したそれらを、おー、と眺め、あるポスターは壁に貼り、あるクリアファイルは書類棚に並べた。

あるときはねんどろいどfigmaを買った。
それらのために棚を空け、お気に入りのポーズを取らせてみたりもした。

それらの行動を重荷に感じ始めたのはいつからだろうか。
正確な日付は覚えていないが明確に光景は覚えている。
それは集めたグッズをゴミ袋に押し込んでいるとき。

一人暮らしの1K部屋は、グッズを飾るには窮屈すぎ、保管するには狭すぎる。
すべてのグッズを飾ることはおろか、保管するのすら頭を悩ませるようになっていく。

そしてこう思うのだ。
「このグッズ、邪魔だな」と。

ああ、思い返すだけで背筋が凍る。震えが止まらない。
なぜあんなに熱意をもって集めたものを、こんなに冷めた視線で見つめられるのか。

私は邪魔に思ったものに加え、できるだけ多くのグッズを集め、一緒にゴミ袋に押し込めた。
そして今後はこれらのグッズを手に入れないと決めた。
あんな経験は一度でこれっきりにしたかったのだ。

キャラクターグッズは、こわい。

事務用品、日用品といったものならどうということはないのだ。
なんの感慨もなく、ただぽい、とゴミ箱に捨てれば良い。
調理器具、電化製品、家具といったものでも、もったいないな、と思うことこそあれど恐怖を感じることはない。

だがキャラクターグッズは、すてるのが、こわい。

一度好きになったものを捨てるのは過去の自分を否定するようでこわい。
あるいは作品への愛を失ってしまったと確定してしまうようでこわい。

だから何かの拍子でグッズを手に入れてしまったときは「何も考えずに」捨てることに決めた。
なにかのイベントで勢い余って買ってしまったものも「そのイベントの追加費用」とみなした。

そしていま部屋に俺ガイルのタペストリーがある。

コミケやはり俺の青春ラブコメはまちがっている。のドラマCDの販売があると聞き、ブースで1時間並び、買った。
その時、このタペストリーがドラマCDと一緒にはいっていたのだ。

全然進まない列で焦りと不安の一時間を過ごした。
そうして歓喜の中手に入れたドラマCDについてきたグッズ。
手に入れるまでは全く気にしていなかった。絵柄すら広げるまで覚えてなかったくらいだ。
だから広げた時におっ、と思い、つい出来心で部屋に飾ってしまったのだ。

私は魅了されてしまった。

なんという手触りなのだろう。しっとりとした生地は雪ノ下雪乃の肌を連想させる。
多少ひねったりねじっても折り目の付かない柔軟さは由比ヶ浜結衣の生き様を連想させる。

そして生活をしているとき、彼女たちがふと視界にはいる。
雪ノ下雪乃と視線があう。由比ヶ浜結衣と視線があう。
その時、なんともいえない感情の波が起こるのを感じるのだ。

その感情は小説を読んでいる時の、ふふっ、と吹き出してしまう滑稽さや、こんなことある、わかるといった共感、物事が良くない方向に向かっていく時のストレスや問題が解決した時の開放感とも違う、なにか別種のものなのだ。
多分これは物語を味わっているだけでは経験できない感情なのだと思う。

タペストリーを飾り、それを眺めていたのは故郷に帰るまでの正味二日に満たない期間だった。
その短い期間で私はキャラクターグッズが作品への愛を示すための踏み絵ではなく、作品への愛を深めるための神体なのだと確信した。
そしてその確信は、私がキャラクターグッズを集めていた頃にすでに到達していた真理であった。

私は、キャラクターグッズに臆病になっていた。
傷つくことを恐れ、新しい出会いを諦めていた。
それをさも賢いことのように振る舞ってさえいたのだ。

私はキャラクターグッズから目をそらすことをやめようと思う。
それは未来の自分の冷たい視線を見つめ返すことと同義だ。
今はその視線に耐えられるかわからない。
だがその視線に打ち勝てるのならば、たとえ購入したキャラクターグッズとの別れがあろうとも、後悔の必要はないのだ。

2013年は私にとっての革命と闘争の年なのかもしれない。