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藤四郎のひつまぶし

プロの素人によるブログ

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アニメのお色気描写と責任感

今年に入ってアニメを見ていてウッとなったものがあって。
それが二作品もあればなんでそうなったのか考えてみるわけです。

ウッとなったのはラブライブ!と僕は友達が少ないNEXT3話。
ラブライブ!は全般的なのですが、特にOP、はがないはマリアが全裸で家を走り回るあたり。
両方共女の子がえっちな雰囲気を醸し出している部分が気になったのです。

じゃあお前はえっちな雰囲気全般が嫌いかと言われればそうでもなくて、例えばお兄ちゃんだけど愛さえあれば関係ないよねっ、とかこの中に1人、妹がいる!とかはYES! WE CAN! って感じで楽しんでいました。

ではなぜ? という話なんです。

一つぱっと思いつくのが、おにあいや中妹は男を落とすための色仕掛けをしていると感じられたなーというところ。
これらの作品では女の子の醸し出しているえっちさは作品中の誰かに向けられていたように思えるのです。
その作中の誰かという方向性がラブライブ!やはがないのマリアからは感じられない。
男とかの色仕掛けの対象がなさそうなのにえっちな雰囲気を感じてしまう。

それがなぜ僕をウッと言わせるかです。
どうやら考えてみると、女の子の色気なり裸なりを作品中の他のキャラに受け流せず、視聴者として向き合わないといけないのが負担になっているっぽい気がするのです。
これらの作品で出てくる色気なり裸なりは、キャラたちが無自覚に出してしまっているものなので、なんとかして防がないとと思ってしまうようなのです。

具体的にラブライブ!について。
このラブライブ!には入学希望者を増やして廃校を阻止すべく、主人公の穂乃果たちがスクールアイドルをするという設定があります。
このスクールアイドルについて、僕には大人の関与が感じられない。
高校生の仲間だけでひと通り運営しているようにすら思える。
これが個人的に結構ヤバくて、ヘタしたら悪い大人にだまされちゃうかもしれない、そんな危うさを感じるのです。
ここから僕が彼女たちを守らないといけないという責任感がムクムクしてくるのです。

はがないのマリアについては言うまでもないでしょう。
お菓子あげれば簡単についていくと想像できます。
小鷹がマリアにひどいことをする、というのは考えにくいですが、それでもあのマリアの無防備さにはすっごい守らなければならないという責任感を感じるのです。


で。


どうやら僕はそういう責任感に押しつぶされてしまうようです。
そういう部分でハラハラさせられるのは心理的負荷がかなり高い。
週1本か2本ならどうにかなるのかもしれないですが、これが更に増えていくと僕の手には負えなさそうな…。

あるいはアニメではそういう無防備な子供でもひどい目にあわない世界があるんだと信じられればいいのかもしれませんね…。
どうやら僕はそういう根本的なところでアニメを信じられていないのかもしれないなーなどと思うのでした。