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藤四郎のひつまぶし

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誤解を生むとよくないので、TM2501さんの俺ガイルについての記事に補足します

ライトノベル やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 WEBサイト 思想 雑記

スクールカーストと若年向け文学〜さるラノベを読んでいる僕の苛立ち〜 - とある青二才の斜方前進 はてなブックマーク - スクールカーストと若年向け文学〜さるラノベを読んでいる僕の苛立ち〜 - とある青二才の斜方前進

こちらの記事を読みまして、俺ガイルことやはり俺の青春ラブコメはまちがっている。を勘違いする人が出るのは不幸かと思いました。
なので僭越ながら私が補足させていただきます。

小説への態度の違い

まず、TM2501さんの住んでいらっしゃるところと日本では、小説への態度がかなり違うと思われます。
TM2501さんのお住まいのところは生産的な行動を奨励し、風紀を乱すような小説は厳しくチェックされ、世に出てこないのではないでしょうか。
それに対して日本では現在そこまでの言論統制、検閲などはされていません。
そしてTM2501さんのお住まいのところと違い、日本では小説に娯楽としての役割を求められることが多いです。

TM2501さんの記事のような、内容が生産性を伴っていないといった批判が違和感なく馴染む種類の本としては、日本ではビジネス書、自己啓発書、実用書といった類のものが挙げられます。
こちらは主に実生活にフィードバックし、活用するための本です。そのような本の内容が実生活に役に立たなければ批判されても仕方ない部分があります。
ですが俺ガイルはそれらのジャンルに含まれる本ではありません。

なお、ビジネス書などと似た性格をもち、小説の形式にも近いものもあります。
それは日本でおとぎ話などと呼ばれるものです。

おとぎ話には子供の娯楽という側面の他に、ある種の行動を奨励する側面もあります。
例えばこぶとりじいさんや花咲か爺、舌切り雀などは欲張りが損をして、無欲な人、正直者が得をするといった内容になっています。
食料などの生活必需品が不足しがちで、かつ自由な移住が難しかった時代では共同で田畑を耕すといった行動に労力を費やす必要がありました。
自分の利益を最大にするよう争うのは労力の浪費になります。
おとぎ話は強欲と争いを戒め、無欲と助け合いを奨励する意味合いを持っていたとも考えられます。

ですが現在の日本は生活するだけならばなんとかなるケースも多いです。
それに加えて娯楽を楽しむ金銭的・時間的余裕がある人も少なくありません。
そういった時代に生まれた娯楽は、おとぎ話のようにある種の行動を奨励する要素はあまり重要ではありません。
TM2501さんのように、生産性で評価をする、という尺度が日本の小説にはあまりそぐわないのです。

なので俺ガイルがビジネス書などの生産性が求められる種類の本と思われた方、それは違います。
俺ガイルは娯楽が大きな目的になっているライトノベルです。

比企谷八幡は「受動的にハッピーが来」ているのか

TM2501さんは記事中で「受動的にハッピーが来るような思想がそもそも不愉快」とおっしゃっています。
ですが俺ガイルはそのような思想の作品ではありません。
八幡が作中でハッピーになっているかと聞かれれば、違うと断言出来ます。

原作1巻、アニメ1話で八幡に向上心が足りないと言い、友達になることを拒否する雪ノ下雪乃は典型的です。
具体的な大きめのエピソードでは4巻、6巻、7巻の八幡の行動とそれが引き起こしたものを見れば、八幡がハッピーになっているなどと言える人はいません。

俺ガイルの実態としては能動的に動いても学校という社会に適応出来なかった少年、比企谷八幡の悲哀を描いたものという方が近いかと思われます。
比企谷八幡がいかにして現在の人格を形成していったかは、拙著のこちらの記事を読んでいただくと垣間見えるかと思います。

比企谷八幡列伝 - 藤四郎のひつまぶし はてなブックマーク - 比企谷八幡列伝 - 藤四郎のひつまぶし

俺ガイルが「受動的にハッピーが来るような思想」を持っているというのは的を外した意見なのでご注意ください。

「学校で部活動をやる意義」の作中での描かれ方

TM2501さんは記事中で「学校で部活動をやる意義」として、社会性や自主性の向上を挙げていらっしゃいます。
それは確かに意義のあることです。
そして八幡を奉仕部に強制的に入部させた平塚静教諭が望んでいることでもあります。

「人との付き合い方を学ばせてやれば少しはまともになるだろう。こいつをおいてやってくれるか。彼の捻くれた孤独体質の更生が私の依頼だ」
渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 』(ガガガ文庫)P23

「雪ノ下は君に説明してなかったか。この部の目的は端的に言ってしまえば自己変革を促し、悩みを解決することだ。私は改革が必要だと判断した生徒をここへ導くことにしている。
渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 』(ガガガ文庫)P39

つまり俺ガイルにおいて、奉仕部の活動は社会性や自主性の向上を目的としています。
TM2501さんの記事の表現では逆に描かれているように読めるので注意してください。

こうなってしまった原因は八幡の思想にあるかと思います。
八幡は奉仕部で自主性や社会性を身につける気はさらさらありません。
おそらくそこを受けてTM2501さんは記事を書いたのでしょう。

ですが主人公の思想や行動が無条件に作品中で肯定されていると読むのは早計です。
太宰治人間失格を女をとっかえひっかえして酒やクスリに溺れるのを奨励する作品だなんて読む人は日本にはいません。
作中での描かれ方、位置づけが大事なのです。
特に俺ガイルはまだ完結前。八幡の考え方が変わる可能性すらあるのですから。

なお、TM2501さんは「はみだし者であることは別にいい。斜に構えて他者を批判するのも良い。だが…批判するならせめて代案か提案か自分の世界観を持とうよ…」ともおっしゃっています。
これも八幡には当てはまりませんが、メインのヒロインの1人、雪ノ下雪乃は自分の世界観を持ち、主体的に世の中を変えていこうとしているといっていいでしょう。

「でも、それも仕方がないと思うわ。人はみな完壁ではないから。弱くて、心が醜くて、すぐに嫉妬し蹴落とそうとする。不思議なことに優れた人間ほど生きづらいのよ、この世界は。そんなのおかしいじゃない。だから変えるのよ、人ごと、この世界を」
渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 』(ガガガ文庫)P69

こちらも作中の描写では八幡が正しいとも、雪ノ下が正しいとも断言できない状態のまま最新刊まで来ています。

TM2501さんの記事で俺ガイルは随分反社会的な思想を植え付ける小説だな、と思った方、確かに八幡の思想にはそのような部分があります。
ですが俺ガイルという作品自体はそれを決定的に正しいとしている小説ではありません。

日本の物語とラブコメ要素

TM2501さんは記事中で「美少女とのラブコメ要素がつけたいという浅はかな理由が見え隠れしてか(※ここは俺の推測)意味も無く高校生・意味も無く学校というふざけたライトノベルだ。」とおっしゃっています。
これについては俺ガイルはラブコメ作品であると筆者の渡航先生が述べています。

俺ガイルについて思うあれこれ】『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』『俺ガイル』『はまち』について | 俺ガイルブログ はてなブックマーク - 俺ガイルについて思うあれこれ】『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』『俺ガイル』『はまち』について | 俺ガイルブログ

だいたい私がラブコメを書くと言った時に、「渡航さんはラブコメ向いてないからやめましょう」と止められたあたりでもうやばかった。何がやばいってマジやばい。もうね、おこだよ、おこ。激おこぷんぷん丸

つまり俺ガイルはラブコメ要素をつけたいと思ったのではなく、ラブコメそのものを書いている作品です。

そしてラブコメ要素をつけることが浅はかなのか、というと、実は日本ではラブコメ要素は浅はかなものと切り捨てることはできないのです。
このラブコメ要素は少なくとも日本では古来から脈々と受け継がれた伝統なのですから。

日本最古の物語である竹取物語かぐや姫と貴族の愛を描いた物語ですし、百人一首も恋の歌が43首で四季の歌32首を抑えて最多となっています*1

そして日本神話も恋愛の側面があります。
死んで黄泉の国に行ってしまったイザナミを愛するあまり連れ帰ろうとしたイザナギの話があったり、日本各地で恋愛をして、180柱の子供を設けた大国主の話があったり。
古事記にもそう書いてある。

なのでTM2501さんの住んでいるところと、日本ではラブコメに対する捉え方が全く違うのです。