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藤四郎のひつまぶし

プロの素人によるブログ

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再掲:バクマン。から感じたマンガとアニメの制作者の見え方の違い

※本記事はジャムミックス!で2011/11/12に投稿した記事を修正・追記・再編集したものです。

バクマン。2の6話「病気とやる気」なのですが、
マンガで読んだ時と印象がぜんぜん違っていたのでびっくりしました。

自分はラストの亜豆の「2人の夢をかなえて」に「描くのやめろなんていえねー……」とかほざいてる港浦さんに対して、マンガで読んだ時はさっさと止めろドアホ、と思っていたものです。
それがアニメになりましたら、これは止められないよね、と180度意見が変わりました。

これは自分もかなりびっくり。もう一度マンガを読み返したのですが、やはりマンガとアニメで受け取り方が違うな、と思ったのです。

私がサイコーを止められないと思ったのは直接的には亜豆役の早見沙織さんの演技に負うところが大きいと思います。
人の感情を揺さぶるには、五感をフルに訴えかける方が有利です。
なので絵に加えて声でも訴えかけられるアニメはより感情を揺さぶりやすいと思います。
そこがマンガより説得力を増しているところなのかなーとか思います。

ただそれだけではなく、マンガとアニメで制作者の顔が見えるかどうかももあるかもしれません。
私はマンガはほぼ個人で作っているという印象を持っており、作中の展開を作者の価値観を反映したものと感じることもあります。
バクマンに関しては作中のマンガ中心の価値観を原作の大場つぐみ先生の価値観のように感じる場面が多かったです。

マンガ中心の価値観自体は特に悪いものだとも思っていません。
ただこの場面に関してはその価値観は他の価値観、例えば健康といったものより優先されるし、それが正しい、と一般化しているような印象を受けてしまいました。
なので亜豆の「2人の夢をかなえて」も、そういった考えを肯定するためのセリフに思えて、どこか醒める感じを受けていました。

それがアニメになると、作品全体で原作なり、監督なり、脚本家なりの価値観が反映されてはいても、一つ一つのシーン単位まで分解されると関わった個人の意志がそれを凌駕する場面もあるのかもしれません。
バクマン。2の6話の早見沙織さんの演技にはマンガの時にどうしても頭から拭い去れなかった上記のような雑念を振り払ってしまう凄みを感じました。

この場面に至るまでのサイコーの発言には、目の前の仕事への責任だったり、マンガ家のあり方だったり、どこか凝り固まった価値観を感じていました。
病気で正常な判断力を失っているようにも思えました。
ただそれが亜豆のセリフによって、二人の夢だったり、一刻も早く成功したいといった若さに変換されたように思います。
このような視点はマンガの時は自分の中でまったく呼び起こされませんでした。
しかしアニメでは早見沙織さんの声によってそれが顕在化したように思います。

そう、つまり私は早見沙織さんが大好きなのです!

(2013/4/24)
この記事を書いた当時よりアニメのスタッフの方を知るようにはなった気がしますが、やはりまだマンガや小説のように個々の制作者が浮かぶようにはなっていません。
まぁその域に達することは無いように思いますし、そこを目指すつもりもないんですけどね。

この記事のもう一つの焦点、早見沙織さんは今期も俺妹のあやせ、俺ガイルの雪ノ下、レヴィアタンレヴィアタン、RDGの泉水子、そしてバクマン。3再放送の亜豆とさまざまな演技で声を聞くことができます。
特にあやせの罵りはゾクゾクします。

俺の妹がこんなに可愛いわけがない 3 【完全生産限定版】 [Blu-ray]
優しい声ではレヴィアタンが素晴らしいです。1話を見たときはヤバイアニメが始まったような気がしましたが、なかなかどうして緩く楽しめそうな気がします。

今後もいろいろなアニメをいろいろと楽しめますように。