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藤四郎のひつまぶし

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誤解を生むとよくないので、LDさんの記事の俺ガイルの部分について補足します

ライトノベル やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 WEBサイト 思想 雑記

「友達欲しい系」は、ぼっちを如何に癒すのか? - 今何処(今の話の何処が面白いのかというと…) はてなブックマーク - 「友達欲しい系」は、ぼっちを如何に癒すのか? - 今何処(今の話の何処が面白いのかというと…)

こちらの記事を読みまして、俺ガイルことやはり俺の青春ラブコメはまちがっている。を勘違いする人が出るのは不幸かと思いました。
なので僭越ながら私が補足させていただきます。

俺ガイルは「友達欲しい系」ではない

「友達欲しい系」は、ぼっちを如何に癒すのか? - 今何処(今の話の何処が面白いのかというと…) はてなブックマーク - 「友達欲しい系」は、ぼっちを如何に癒すのか? - 今何処(今の話の何処が面白いのかというと…)

これらの系統を僕らは、ハーレム構造の志向が行き着いた先に「恋人が欲しい(恋人が沢山欲しい)」という要求よりも、「友達(仲間?)が欲しい。友達はどうやったらできるの?」という要求に変わって来たんじゃないか?という解釈で捉えようとしました。まあ、それが「友達欲しい系」というヤツです。

そこからさらに、この観点で物語を読み解こうとしたのが『僕は友達が少ない』、『ココロコネクト』、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』あたりでしょうか。……ラノベばっかですねアニメ『TARITARI』もこの系統に入れていいかな?
さて、『はがない』、『俺ガイル』は構造としてはハーレムものを形勢しているように見えるのですが、主人公の要求(つまりテーマ)は友達にあるように観えます。

違います。俺ガイルの主人公の要求(つまりテーマ)は友達にはありません。

俺ガイルの主人公、比企谷八幡はこう述べます。

 誰かの顔色を窺って、ご機嫌とって、連絡を欠かさず、話を合わせて、それでようやく繋ぎとめられる友情など、そんなものは友情じゃない。その煩わしい過程を青春と呼ぶのなら俺はそんなものいらない。
ぬるいコミュニティで楽しそうに振る舞うなど自己満足となんら変わらない。そんなものは欺瞭だ。唾棄すべき悪だ。
渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 』(ガガガ文庫)P233

八幡は友達と呼ばれる人と表面上仲良く過ごすことを望んでいません。
そして1巻最後の作文でこうも書き綴ります。

俺の高校生活は前述のような美しい心象風景で彩られるようなものではなかった。土気色をした灰暗い、モノクロームの世界だった。入学式の日に交通事故に遭うなど始まりから既に暗澹たるものであった。それからというもの家と学校とを往復し、休日には図書館へ通い、およそ昨今の高校生らしからぬ日々を過ごしていた。ラブコメなど無縁もいいところである。
 けれど、そのことに一点の悔いもない。むしろ誇りですらある。
 俺は楽しかったのだ。
渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 』(ガガガ文庫)P300

八幡は友達を作るのが目的なのではありません。
というか友達がいないことをネタにはしますが、友達という概念だけにこだわる男ではありません。

俺ガイルが友達を欲しがっているぼっちを主人公にした物語だと思った方、それは違いますのでご注意ください。

俺ガイルのテーマ

では俺ガイルのテーマ、主人公である八幡の意識どういった方向に向いているのでしょうか?
八幡の意識は友達といった自己の外側の存在ではなく、むしろ自己の内側に向いています。

 今の自分が間違っていると、どうしてそんなにも簡単に受け入れられるんだ。なんで過去の自分を否定するんだ。どうして今の自分を認めてやれないんだ。なんで未来の自分なら信じることができるんだ。
 昔、最低だった自分を、今どん底の自分を認められないで、いったいいつ誰を認めることができるんだ。今の自分を、今までの自分を否定してきて、これからの自分を肯定することなんてできるのか。
 否定して、上書きするくらいで変われるなんて思うなよ。
 肩書きに終始して、認めてもらえていると自惚れて、自らの境遇に酔って、自分は重要な人物だと叫んで、自分の作った規則に縛られて、誰かに教えてもらわないと自分の世界を見出だせないでいる、そんな状態を成長だなんて呼ぶんじゃねえ。
 どうして、変わらなくていいと、そのままの自分でいていいと、そう言ってやれないだ。
渡航 『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。6』(ガガガ文庫) P317

「友達欲しい系」は、ぼっちを如何に癒すのか? - 今何処(今の話の何処が面白いのかというと…) はてなブックマーク - 「友達欲しい系」は、ぼっちを如何に癒すのか? - 今何処(今の話の何処が面白いのかというと…)

『はがない』の第一巻の第一章においてこういうセリフがあります。(↓)

「……そもそも、私はどうしても友達が欲しいわけじゃない」
「え?」
「……友達がいないことがイヤなのではなく、学校とかで『あいつは友達がいない寂しいやつだ』と蔑むような目で見られる事がイヤなのだ」
「あー、なるほど」
 なんとなくわかる。
『友達がいること=いいこと』というのは基本的にその通りだと思うけど、それが世間では『友達がいないこと=悪いこと』と同義のようになっている。
 それはちょっと違うんじゃないかと俺は思う。
「私は一人でも平気だ。学校での友人関係なんて上っ面だけの付き合いで十分だ」
 三日月の声には、どこか無理が感じられた気がした。

(『僕は友達が少ない』第1巻より)

……けっこう、いい事言っていると思いませんか?僕はここにすごく共感しました。べ、別に僕は、ぼっちじゃないよ!きっと!(`>ω<´;)……いや、世間ってけっこう一拍の疑念もはざまず「これが正しい!」とか「これが幸せモデル!」とか言っちゃう題目や看板がそこら中にありますよね?僕はわりと一々「そうかなあ?」と考えちゃったりする所があるんですよ(汗)このセリフ、そこの琴線に触れる所がありました。

で、『俺ガイル』でも上記に近い心情の吐露があったりして、「ぼっちの物語」としては、ここは急所の景観に思えます。
ぼっちは「友達ができた!嬉しいな!」で癒される事もあるでしょうが、それと同じくらい「別にぼっちでもいいんだけど?」(この思いは、実際にぼっちじゃない人でも抱く事はあるはず)という思いを瘉されたいのではないか?現代だとその層はけっして少なくないのではないか?…と感じるのです。

しかし、おそらく、これらの物語は“そっち”へは向かっていない。

6巻、7巻のエピソードを読む限り、2013/5/2時点の最新刊、7巻時点では「別にぼっちでもいいんだけど?」方向に向かっていると言っていいでしょう。

もちろん今後八幡が友達の良さを知り、ぼっちから積極的に抜けだそうとする展開はありえます。ですが少なくとも無条件の友達讃歌など謳っていません。
例えば友達の負の側面として、友達グループを保つために誰かが無理をしていたり、傷つけあったり、崩壊しかけたりといったエピソードが描かれています。
特に7巻はほぼ全編がそれでした。

俺ガイルは友達作りを単純に肯定する物語ではありません。
自分らしさと他人や社会の要求とどうバランスするか、過去の自分と未来の自分をどう位置づけるかなどの、自己同一性をテーマにした物語です。

もしかしたらLDさんは1巻のこの辺りから友達讃歌の雰囲気を感じ取ったのでしょうか?

 別に平塚先生の言葉を鵜呑みにするわけではないが、雪ノ下雪乃は持つ者であるがゆえに、苦悩を抱えている。
 きっとそれを隠して、協調して駒し開し、自分と周りをごまかしながらうまくやることは難しくはないはずだ。世の中の多くの人間はそうしているのだから。
 勉強が得意な人間がテストでいい点を取ってもまぐれだのヤマが当たっただの言うように。美少女が不美人にひがまれたら皮下脂肪が最近どうのと自分の醜さを主張するようにけれど雪ノ下はそれをしない。
 自らに決して嘘をつかない。
 その姿勢だけは評価しないでもない。
 だって、それは俺と同じだから。
 話は終わったとばかりに雪ノ下は再び文庫本に目を落としていた。
 それを見て、俺は不意に妙な気持ちに捉われる。
 ――きっと俺と彼女はどこか似ている。柄にもなくそんなことを思ってしまった。
 ――今はこの沈黙すら、どこか心地いいと、そう感じていた。
 ――少しだけ、自分の鼓動が速くなるのを感じた。心臓の刻む律動が秒針の速度を追い越してもっと先へ進みたいと、そう言っている気がした。

 ――なら。
 ――なら、俺と彼女は。

「なあ、雪ノ下。なら、俺が友」
「ごめんなさい。それは無理」
「え−まだ最後まで言ってないのに−」
渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 』(ガガガ文庫)P69-70

であればこの部分は八幡が雪ノ下と友達になろうとした所に注目するのではなく、八幡が雪ノ下と友達になれると思った動機、雪ノ下の自らに決して嘘をつかない姿勢が自分に似ている、と思った部分に注目すべきです。

もしかして『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』には別バージョンが存在するのか?

先日このような記事を書きました。
誤解を生むとよくないので、TM2501さんの俺ガイルについての記事に補足します - 藤四郎のひつまぶし はてなブックマーク - 誤解を生むとよくないので、TM2501さんの俺ガイルについての記事に補足します - 藤四郎のひつまぶし

この時も俺ガイルを自分とは違った読み方をしている人がいると思い、補足の記事を書きました。
ですが今回もかなり違った読み方をする人に出会いました。

こうなると俺ガイルには別バージョンがある可能性も考えなければいけないと感じています。
もし俺ガイルの別バージョンを知っている方がいらっしゃれば教えていただけるとありがたいです。

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 (ガガガ文庫)
やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 (ガガガ文庫)