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個人的に気になった革命機ヴァルヴレイヴに関する記事等と所感


『革命機ヴァルヴレイヴ』 はてなブックマーク - 『革命機ヴァルヴレイヴ』
(2013/5/16)
まずサンライズMBSのプロデューサー二人のインタビュー記事から始まった砂場論について。
発端のインタビュー記事からはみんなに楽しんでもらえるアニメを作る意思が伝わってきます。

「革命機ヴァルヴレイヴ」 プロデューサーが語る作品誕生・企画の秘密 池谷浩臣(サンライズ)×丸山博雄(MBS)(1/2) | アニメ!アニメ! はてなブックマーク - 「革命機ヴァルヴレイヴ」 プロデューサーが語る作品誕生・企画の秘密 池谷浩臣(サンライズ)×丸山博雄(MBS)(1/2) | アニメ!アニメ!

――池谷浩臣プロデューサー(以下、池谷)
(中略)
純粋に「楽しい」と思ってもらえるロボットアニメが作りたいと。今回の企画もそんな思いが集まったところからスタートしました。

―― 丸山
これは本当に難しいことだとは思いますが、個人的には今回のメカが、老若男女、人を選ばず好きになってもらえたらいいなと願っています。
自分たちのようにメカ好きの人々にはもちろんのこと、普段ロボットアニメをあまりご覧にならない方にも興味を持ってもらえて、ロボットアニメを好きになってもらうきっかけに少しでもなれれば幸せです。

――丸山博雄プロデユーサー(以下、丸山)
(中略)
また、先ほどの話とも関連するんですが、今回の作品はターゲットとかを考えずに、アニメ好きな方みなさんに楽しんでいただければという願いがあります。

そんなヴァルヴレイヴが目指した楽しみ方の一つがわいわい言いながら楽しんでもらうこと、リアルタイム視聴といったところかと思う。

―― 丸山
作品のテーマに関しては、見てくださった方それぞれにとらえ方があると思いますが、個人的に大事にしたいのは「様々な人間が描かれるといいな」という点です。
(中略
なので、観てくださる方も「このキャラは好きかも」とか「この人物はあまり気にいらない」とか(笑)、わいわい言いながら楽しんで観てもらえたらうれしいです。深夜放送なのでほんとすみませんが、できればリアルタイム視聴をオススメしたいです。

―― 池谷
「ロボットアニメを作りたい」と思っていたスタッフが集まって作っている作品なんですが、とにかく今、考えているのは、毎週、楽しみに見ていただけるものを、どうやってお届けできるだろうか、ということが一番です。
「次はいったいどんな話になるんだろう」と、単純に胸がワクワクする。そんなアニメーションに出来たらいいな、と。

アニメが好きだったり、メカが好きで見てくれる方々やスタッフ含めてみんなが、毎週遊べる砂場みたいなものになれたら幸いですね。メカ、キャラ共に松尾監督のこだわりの演出も見どころだと思います。 

個人的にはここでの砂場は「アニメが好きだったり、メカが好きで見てくれる方々やスタッフ含めてみんなが」ってあたりから、画一的な受け取り方や楽しみ方ではなく、それぞれの受け取り方、楽しみ方をする自由度の高い作品、ぐらいな受け取り方。
砂場ではみんないろいろな遊び方をするという意味で。

この最後の砂場を受けてのたまごまごさんの記事。
ヴァルヴレイヴよりはアニメの楽しみ方でみんなと話すためにアニメを見てると感じるときもあるよね、といった内容の方が近い?
「砂場」としてのアニメがある、日々の楽しみ。 - たまごまごごはん はてなブックマーク - 「砂場」としてのアニメがある、日々の楽しみ。 - たまごまごごはん

このアニメが「砂場」って表現は面白い。

ようは、きっちり組み立てられた建造物ではない。

ワクワクするような広い空間が準備されて、そこで自由に遊んでいいよと。遊ぶための作品という前提が面白い。

わいわい言いながら楽しむっていうのも、ネット前提なのがすごい。

ここでの『きっちり組み立てられた建造物ではない。』には、元の記事はそういうニュアンスだったのかちょっと疑問に思うところはあります。

そして場と作品のお話。

この時期本当に楽しかった。学生時代だったからというのもあるのかな。

同好の士と出会えることが(ネット越しですが)、こんなに楽しいなんて!

砂場で小さく細い塔を作っていた自分が、仲間と一緒に砂場いっぱいつかったお城を作り始めた気分でした。

アニメ・マンガが好きで、会話できる「場」を見つけたんです。

まず学生時代にアニメ・マンガについて会話できる「場」を見つけたとのこと。

もう話す「仲間」がいるから、そこで会話の題材となる作品を、逆に「場」にしているんですよ、ぼくが。

「題材があるから場を求めている」んじゃなくて、「自分のいる地点で、砂場となる題材を求めている」にひっくり返っていることが稀にある。

最初は「うわーよくわからんけどおもしろー!どうなんのこれ!でもなんかおかしくね!?」とワクワクしながら楽しんで、ネットを見たら賛否両論やっぱりあって、でもやっぱり楽しんでいる見ている人たちが「砂場」として全力で遊んでる。

自分は「アニメ好き」という「公園」を既に持っていて、楽しむための「砂場」、言い換えれば「共通の話題」として、入り口にたってる。

製作者が「砂場」としてこの作品を作ったとしたら、まんまと手のひらの上です。

最初から、「会話する場ありき」の作品なんだなーと考えると、ちょっと感慨深いのですよ、その「場」が見つからなかった人間としては。

ちょっと自分の理解力が足りてないんですけど、仲間がいることが普通になったので、作品を語るための「場」を探すのではなく、仲間と話すための「場」=「砂場」=作品を探しているということ?
昔は作品=場を語りたいと考えて、作品語る仲間が集まる場所に行っていたが、今は仲間がいて仲間と語るための作品を求めてる、って感じですかね。

この記事と先ほどのインタビュー記事を受けてのストレンジャーさんの記事。

「砂場」なんかいらない - いつだって"本気"じゃないと気が済まない君へ - さよならストレンジャー・ザン・パラダイス はてなブックマーク - 「砂場」なんかいらない - いつだって

先ず、一番最初に書いておきたいことは…あのね、上記のエントリを読んでも、引用されているインタビューを読んでも、自分、全く共感できなかったんですよ。もうね、一切、共感できなかった。

そりゃスピルバーグとかコッポラ、キューブリックの映画みたいな完璧なものを目指せとまでは言わないまでも、裏側はどんなにボロボロのハリボテでもいいから、表向きだけは完璧な…立派なエンターテインメントを作ってくださいよって思うんですよ。今だと、そのハリボテの裏側を敢えて見せちゃって、突っ込み入れられるのを待ってる状態なわけじゃないですか。それは、ちょっとどうなのよって感覚がある。それは、「砂場」で遊ぶことができない人間の劣等感と僻みが大部分を含んでいるという自覚をした上で。

ここでは「ハリボテの裏側をあえて見せちゃって」と言ってますが、たまごまごさんの記事でもそこまで言っているか個人的には微妙で、最初のインタビューからはそういったニュアンスをほとんど感じません。

個人的にヴァルヴレイヴはインパクトと驚きを重視しているために展開の後に説明が来ることが多いのが、ほころびのように見えるのかなーという気もします。
というかそれが本当にほころびなのか、そうでないかは個人の主観でしかないように思うんですよね…。

2013年4月開始アニメにフォトカノって作品があります。
フォトカノは相当突き詰めてる作品だと私は思っています。
現実に当てはめるとおかしいだろと思うことばっかりです。
カメラを持ち始めたらいきなり女の子を見てシャッターチャンスだと思うようになるとか、写真部のカメラからは女の子を守るけど、自分のカメラでは撮ろうとするところとか。

ただそれは多少無理矢理に見えても、女の子に愛される男の子を描きたいだとか、女の子を魅力的に描きたいだとかの目的のためじゃないかと思うのです。
私としては。

どうなんでしょうね。完璧な作品だとかを望む人ってフォトカノをどう思うんでしょう。むろみさんは? ヴァルヴレイヴは? ガルガンティアは? ゆゆ式は? 自分はどれも視聴者を楽しませるという目的は同じで、スタッフが考えに考えて違う手段をとってるように思うんですよねぇ…。

でthunさんの記事。
真にアニメをツールとして使っている奴 - 隠れてていいよ はてなブックマーク - 真にアニメをツールとして使っている奴 - 隠れてていいよ

だから、「砂場としてのアニメ」という表現を使った時の「砂場」の意味が、皆が集まる場所だとか、楽しむための手段という意味ならば理解はできる。アニメ=砂場という、まるでアニメそのものが遊んだ後すぐに崩れてしまって、更地に戻って、また一から楽しむものだ、という使われ方ならちょっと困るけど。

「砂場としてのアニメ」という表現を用いるとなぜかマイナスのイメージが湧いてしまう。多分それは、砂場というものが遊んだ後に更地になって、作ったものが無くなってしまう、儚く脆いというイメージが強いからなのだと思う。ただ確かに、砂場があくまで手段だった、場所だったのであれば、主目的は「みなで遊ぶこと」であり砂場が蔑ろにされているように感じる、というのは分かる。

自分の砂場とそれに関係する話のイメージはこれに近い。
ストレンジャーさんの記事なんかでも感じたけど、例え話からそれぞれが違う文脈読んでない? って感じることがある。
この辺すり合わせないと話が拡散する気もする。

と思った所にまっつねさんが「砂場」って言葉には元ネタがあるんだよ、という記事。
アニメ砂場論についての整理 - まっつねのアニメとか作画とか はてなブックマーク - アニメ砂場論についての整理 - まっつねのアニメとか作画とか

アニメスタイル第1号で庵野秀明監督がセーラームーンを語る文脈の中で「遊び場」と「人形」「砂場」といった言葉が出てくるそうで。
そこら辺を踏まえると語りやすいのかもしれない。

ちなみにまっつねさんの私見については

かつて、出崎統さんは
「アニメは俺と視聴者とのパーソナルな対話なんだ」と言っていました。
私は今でもそういうアニメが好きです。

でも、そういうアニメばかりではない。
アニメ自体では楽しめない凡百のアニメが山ほどある。

の『アニメ自体では楽しめない凡百のアニメが山ほどある。』の時点で私と前提がまったく違うようなのでよくわかりません。


個人的には「砂場」ってワードからの一連の流れは「アニメの見方、楽しみ方は人それぞれだし、他の楽しみ方を否定しなけりゃいいんじゃね?」ぐらいのイメージをさらに高みに引き上げられそうになくて、あんまり熱くなれない感じです。

むしろ自分の中でホットなのは作品を取り巻く環境を作中に取り入れたかのようなSNS関係の描写について。

自分が関連する記事を書いた時点では、そこまで作中では重視されないものなので現代のものを流用したんじゃない? というイメージを持っていました。
現代より技術が進んだ世界でなぜ現代の機器、インターフェイスを使うか - 藤四郎のひつまぶし はてなブックマーク - 現代より技術が進んだ世界でなぜ現代の機器、インターフェイスを使うか - 藤四郎のひつまぶし

以上のように、私は作品に登場する機器、インターフェイスには、その作品の世界観、価値観が見えてくるものだと思っています。
現代人とそう変わらない価値観なら、今の機器やインターフェイスに似たものを使い、身近さを強調するでしょう。
現代人とまったく違う価値観ならば、使われる機器、インターフェイスも変わってくるでしょう。
そして価値観が違う人々を描く場合は、作品上重要なテーマならばそういった機器についても物語に絡めてしっかり描くでしょうし、そうでないなら物語のテンポのためにあえて目をつぶるかもしれません。

ですが私が気づかなかった、気にしてなかっただけで、凝った演出や設定があったようです。
bono1978さんが指摘しています。
『革命機ヴァルヴレイヴ』第1話の自動翻訳シーン - 幻視球ノート はてなブックマーク - 『革命機ヴァルヴレイヴ』第1話の自動翻訳シーン - 幻視球ノート

この中で、ニュース映像のテロップは英語。

WIRED WINDOWのタイムラインに表示されるメッセージは日本語だ。

僕は最初見たとき、この文字のギャップに戸惑った。「なんとなく、ちぐはぐな印象だなぁ」と。全世界から(かな?)の反応を見せる場面で、「英語も使われていますよ」と示しておきがら、一般大衆によるチャットでの反応が日本語のみというのが、アンバランスに見えたからだ。
(中略)
そう、あまりにも翻訳速度が速いために、全部日本語だと錯覚していたのだ。「一瞬何か見えたけど、ローマ字入力中のアルファベットがチラついているのかな?」と。でも、そうじゃなかった。アルファベットは英文だったんだ。

5話時点では私でもわかるくらいストーリー上でそういったSNSなどが活用されていたイメージもあります。
どうやらSNS、ネット関連もヴァルヴレイヴの重要な構成要素の一つになっていると言えそうです。
この辺は水音さんの記事に膝を打ちました。
マンガ☆ライフ |『ヴァルヴレイヴ』に見るSNSと動画共有サイトの描写について はてなブックマーク - マンガ☆ライフ |『ヴァルヴレイヴ』に見るSNSと動画共有サイトの描写について

そうしてハルト達がSNSで実況中継されるような注目される対象であるということを意識させているからこそ、ハルトがヴァルヴレイヴを操り、ドルシア軍を倒した時のSNSの盛り上がり方が面白いんじゃないだろうか。
なんというか俺達がオリンピックとか野球とか実況している感じ。今眼の前で伝説というか凄いものが見れたんじゃないか?みたいな喜びが感じられる描写になっていると思う。

特に五話の動画共有サイトで「俺達は元気でやっている」ということを表明し、それに対して寄付が集まっていくという流れは、なんというか「ハルト達の生活」をコンテンツと消費している感というか「モニターの向こう側の出来事に対してお金を払っている」という感があって、今後もSNS動画共有サイトの存在を意識した展開が続くとすると、本当に「俺達」が作中に登場している感がある。
(中略)
そういう意味では五話の動画配信もSNSなんかで拡散されているように演出されていて、なんというか現代的だな―と感じるところで。

でそのSNSなのですが、ある事態に対して自分が当事者だと認識して行動するか、観客と認識して行動するかといった所に繋がってくるかもな、と思っています。

これまた私は気にしていなかった、気づかなかったのですが、ヴァルヴレイヴではおかしいものはおかしいときっちりつっこんでいる、という指摘がbono1978さんの記事にありまして。
『革命機ヴァルヴレイヴ』のツッコミ台詞 - 幻視球ノート はてなブックマーク - 『革命機ヴァルヴレイヴ』のツッコミ台詞 - 幻視球ノート

そういった、視聴者の気持ちを代弁してくれる描写があるから、作り手と僕との間で「正常/異常」の判断にそれほどズレがないことが分かる。

もともと「巨大ロボット」の存在自体が「変なもの」なのだが、そこで理論武装してリアルに寄せるのではなく、オブラートに包まず、あくまでも「変なもの」として描いた先に何があるのか。そういう部分でも、面白いものが見られそうな気がする。

この辺もアニメスタッフが主観的に語るだけでなく一歩引いてみることで、観客に色んな視点も提供してるのかなぁなどと思ったり。

他解釈全般、設定関連の話。
革命機ヴァルヴレイヴ5話まで感想文:ずっと歌っていてほしい:地底の肉屋 - ブロマガ はてなブックマーク - 革命機ヴァルヴレイヴ5話まで感想文:ずっと歌っていてほしい:地底の肉屋 - ブロマガ

「脚本が酷い」「もっとちゃんと話を考えろ」っていう言い方での非難をコメントでたくさん眼にしたけれど、誰かが奇妙な行いをしたとき、それを誰かのミスや短慮の結果であるとするのはちょっと短絡的だ。また、作品がフィクションであったとしてもフィクションの中の登場人物達はそれを現実として生き、行為しているのだから、どれだけ突飛な出来事が起こったとしてもそれは(作品内の)事実として受け止めるしか無い。「こんな不可解なことが起こるのはおかしい、脚本家(神)は狂っている」と嘆くよりも「一見不可解にも見えることがなぜ起こるのだろう?起こらざるを得なかったのだろう?」と思考する方が建設的…というか、自分にとって納得のいく領域を増やすことができるから、実りが多い。

自分のスタンスはこの記事を書いたどきゆりさんに近いところがあります。
でもショーコに対してはちょっとスタンスが違います。

スーパーの陳列棚にラリアットをかまして「こういうのってやりたくなるでしょ!?」と言われた時、ああやりたいよね、と思った。

自分はこのショーコの気持ちを理解はできるけど全くといっていいほど共感できません。
多分この辺わりと共感できるできないの極端なキャラを配置してるのが、丸山プロデューサーの『「このキャラは好きかも」とか「この人物はあまり気にいらない」とか(笑)、わいわい言いながら楽しんで観てもらえたらうれしいです。』に繋がってくるんだろうなぁと思います。

ヴァルヴレイヴと虚淵発言について - 一人日疋ヒ尸至 はてなブックマーク - ヴァルヴレイヴと虚淵発言について - 一人日疋ヒ尸至

ヴァルヴレイヴの場合は
「好きな女を目の前でぶっ殺されて逆上」という理由で
それはそれで新しいなとは思うのですが
「なんで急に乗れるのか、いきなり動かせるのか」という説明は
やはりできてないので、
虚淵発言の「偉業にして悲願」の達成というほどのものではない気がしますね。
ていうか、どんなに怒っていても
普通ならあそこで乗らないし、乗っても動かせないですよね。この流れだと。

大匙屋さんの記事の元は虚淵玄さんのこのツイート。

自分もハルトにはもう一つ背景、例えばロボの操縦経験だったり、過去に一度戦いで苦い経験があって戦わない姿勢になったとかで、ロボに乗る、戦うに至るスムーズさが欲しいなぁといったところ。
ただこの辺の設定が後から出てこないとも限りません。
というのもヴァルヴレイヴはこの種の後出しが多い気がしてるからです。

エルエルフが2話、ヴァルヴレイヴのコクピットで銃を構えても全然発砲しないと思っていたら、どんな状況でも情報を集め、逆転するキャラだと3話でわかります。
3話で不良のライゾウがハルトにロボットをよこせというのも唐突に思ったのですが、5話で重度の仲間思いのバカだと描かれます。

この辺の説明描写が後回し、場合によっては数話先になるとこが展開の予想のつかなさと理解が追いつかない感に繋がってくるのかなーと思います。