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藤四郎のひつまぶし

プロの素人によるブログ

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俺修羅を発端とした個人と世界のリアリティの話

アニメ 思想 雑記


先日、アニメについてちょっと記憶に残る論戦があったのでここに書き留めておきます。
話題としては俺の彼女と幼なじみが修羅場すぎるの話、具体的には7話以降本格的にストーリーに絡むことになった冬海愛衣についての評価が真っ二つだったあたりからスタートします。

相手の意見を要約すると「お外走ってくるー」、などと言って外を走りだす女性なんて現実的にはありえない。といった感じ。
その場面に出くわすたびに停止ボタンを押していた、ということなので相当苦手意識があったようです。

それに対して、冬海愛衣の行動はフィクションでは許容される範囲内にある、という反論。
具体的にはこんな感じです。

・冬海愛衣のその場を離れて走る行動は恥ずかしさが原因で起こる反応・行動だ。
・現実でも恥ずかしさが特定の反応・行動を引き起こすことがある。
・軽度のものでは言葉が詰まる、顔が赤くなる程度だが、恥ずかしさの大きさや本人の性格などによっては、顔が真っ赤になる、顔を手で隠す、相手の顔を見ていられず、背中を向けてしまう、座り込んで泣いてしまうといった反応・行動に至る人もいる。
・冬海愛衣の行動はそういった反応をフィクションらしく誇張したものであり、十分個性の範囲だ。

これに対して冬海愛衣を個性の範囲として許せるのなら、なぜ俺修羅の中二病描写はしっくりこないのだ、という話に展開していきました。

ここでの俺修羅の中二病描写というのは主に自らを演出する乙女の会関連で繰り広げられているもののこと。

俺修羅では主人公の鋭太とヒロインたちが自らを演出する乙女の会というものに所属します。
自演乙ではモテまくり代表であるヒロイン、夏川の助言のもと、モテまくりになるための活動をするのですが、その助言は、鋭太が過去たくさん作り上げた恥ずかしい設定、行動を元にしたもの。
その中二病的助言にあまり疑問を抱かずヒロインが行動したり、周りがそんな行動をわりと許容しているように見えるのがおかしい、という話です。

これについて、冬海愛衣は個性の話だったが、中二病描写は個人の問題ではなく、世界の問題なのだ、と反論。
こんな感じです。

・俺修羅の舞台は魔法も超能力もない世界で、ほぼ現実世界と同様の価値観の世界のはず。
・そもそも季堂鋭太の中二病が治ったのは中二病を恥ずかしいと思ったからで、そうなると俺修羅の世界は中二病は恥ずかしい、という現実の世界と似た価値観の世界だと類推できる。
・しかし自演乙でヒロイン達は中二病な行動をあまり変だと思わず実行してしまうし、その中二病ちっくな行動を周りが恥ずかしいものとして認識しているようにも見えない。
・なので俺修羅の中二病描写はしっくりこない。

といった感じです。

この2つの話をもう少し膨らませて
・現実とそんなに変わらない世界に、常識はずれのぶっ飛んだ行動をするキャラがいるとしても、科学技術や世界経済といったものを揺るがさない範囲の行動であれば、それは作品を破綻させるものではない。
・またそういったキャラの行動に一貫性がないとしても、人は感情、気分によって行動が変わってしまったり、性格や思想が経験によって変化したりもするため、これも作品を破綻させるものではない。
・個人という単位では個性やブレはかなり広く認められる一方、それが集団、組織、あるいは世界と単位が大きくなっていくにつれ、それらの個性は普通の中に埋もれ、平均化されていき、現実の世界に近づくと考えられ、現実からの逸脱は認められなくなっていく。
・集団、組織、世界といったものが現実離れした特徴を持つためにはそれなりの理由や設定が必要になってくる。

といったところまで広がる話をマックで女子高生2人が話していたのでした。

僕としては俺修羅はOP、一話あたりが特に素晴らしく、あと愛衣ちゃんについてもすごく好きなキャラでした。
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