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藤四郎のひつまぶし

プロの素人によるブログ

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ブギーポップ・ウィズインさびまみれのバビロンについて

ライトノベル ブギーポップ 思想 ストーリー 紹介 感想

無駄を省いた要約:さびまみれのバビロンは3人の女の子がとある不思議な現象・事柄をあーでもない、こーでもない、とキャッキャウフフいいながら解決しようとするお話。
ブギーポップが出てくるということで、この作品にも世界の可能性を閉ざしてしまう存在、世界の敵が現れる。
現れるんだけど、その世界の敵関係の話と女の子たちの他愛もない意地の張り合いだとか、漠然とした不安感だとかが同列にあつかわれているようにも感じた。
ちょっと極端だけど、女の子同士のいちゃいちゃを描いている作品、って言ってもいいんじゃない?

以下無駄な部分を付け足した記事。

ブギーポップシリーズはずいぶん長く続いているシリーズです。
第一作のブギーポップは笑わないが出たのが1998年。
私がブギーポップに触れ、そのあまりの面白さにブギーポップシリーズの虜になったのもその頃です。
同じ街を舞台にしながらも各話で違う主要登場人物と時系列。漠然とした不安だったり、不満だったりに満たされているキャラたち。じわじわと進行する異常な事件。そしてそれらが収束し、悲しみと一緒にささやかな救いも感じる最終話。
以後同様の本を求めて電撃文庫を読むようになり、いまでもライトノベルと呼ばれる小説群を読んでいます。

そんな私をライトノベルの世界に引きずり込んだブギーポップシリーズですが、近年は最初の頃に感じていたほどの熱狂、興奮と同等の感情の高まりを持っていたわけではありません。
具体的にはシリーズ8、9巻目、エンブリオ浸蝕、エンブリオ炎上の後あたりからちょっと違和感というか不満感というかそういった類のものを持っていました*1

エンブリオまでのブギーポップシリーズについて、私はバトルはありつつもそれが物語の中心ではないシリーズだと思っていました。
そんなブギーポップシリーズであえてバトルをする、それがエンブリオを読んだ当時の私の認識です。
エンブリオの後はエンブリオと重要登場人物が被り、能力バトル要素が強いビートのディシプリンシリーズが始まります。
なのでバトル路線はビートの方で継続的にやっていくのかなとも思いました。

しかし、その後に出たハートレスレッドにも私はバトル要素をかなり感じました。
以降、私はブギーポップシリーズの作品に、初期よりもバトル要素、能力描写を強く感じることが多くなっていきました。
別に異能力バトルが嫌いなわけではありませんが、自分がブギーポップシリーズで惹かれていたのは登場するキャラたちのどろりとした感情だとか、葛藤だとかの部分だったので、相対的にそちらの印象が薄い作品は作品自体の印象も薄くなっていきがちでした*2

その頃から刊行ペースも1年から2年近く開くようになっていき*3、単純に触れる時間が少なくなったのも熱意の減少に繋がった部分でもあります。
しかし過去の熱狂を簡単に捨て去れるほど面白さを感じなくなっているわけでもありません。
ここ数年では著者の上遠野浩平先生自身がファンだと公言しているジョジョの奇妙な冒険のノベライズ作品、恥知らずのパープルヘイズが抜群に面白かったのもあって、ブギーポップシリーズへの思いは複雑なものがありました。

そんなところで出た新刊がブギーポップ・ウィズインさびまみれのバビロンです。

ブギーポップ・ウィズイン さびまみれのバビロン|電撃文庫公式サイト

 何も思い出せない――私が目覚めたとき、そこにあったのは奇妙な黒帽子と黒マント、そして生物を一瞬でばらばらにしてしまう能力だった。そんな私の耳に届く不気味な噂“ブギーポップは人が最も美しいとき、醜くなる寸前に殺してくれるんだって”その特徴はなんだか、私の黒帽子と変に一致していて……。何も覚えていない彼女と、何もかもを拒絶している彼女と、自分では何も決められない彼女が出会うとき、世界の裏で錆びついていたはずの呪いが動き出す。人々の心に染み込んで、すべてを崩壊させてしまう悪夢が滲み出てくる。生ける屍が徘徊する衰都の騒乱を征するのは死神の断罪か、幻想少女のイマジネーションか……?
 ブギーポップ待望の最新刊、満を持して登場!

ブギーポップシリーズ2作目のVSイマジネーターのころから、シリーズ通して大きな存在感を発揮しているイマジネーター、水乃星透子とブギーポップという2人の重要人物を連想させるあらすじ。
そしてこの表紙。

これもVSイマジネーターPart1を連想させます。

そして読んでみると笑わないやVSイマジネーターの登場人物がチラホラと。

とまぁさびまみれのバビロンには初期の作品を連想させる部分がいろいろとありました。
そして読後感にも初期の作品と似たものがありました。
ただその読後感は上のような要素のおかげというよりは、私自身の色眼鏡が外れたことのほうが重要だったかもな、とも思いました。

人間、合成人間を問わず、モヤモヤとした不安感や焦燥感を持っているキャラは多いし、吹っ切れて変な方向に暴走するキャラはもっと上の次元の合成人間やMPLS、あるいはブギーポップにバッサリ殺られる。
そんなどっか出口のない感じがありながらも、なんだかんだでちょっとした救いがあったり、痛みを伴う前進があったり、ほんの少しでもプラスに捉えられる事柄は残されている。

さびまみれのバビロンではバトル描写だとか能力描写にもページは割かれているのですが、だからといってキャラの葛藤だとかイライラが描かれていないわけではありません。
というかこれまでのシリーズでも、自分がバトルとかに意識を奪われていただけなのかもしれないなぁなどと思ったのです。
なのでちょっとシリーズ何冊か読み直してみたらまた違った見え方するかもな、と今では思っています。

そんな思いにさせてくれたさびまみれのバビロンなのですが、主要登場キャラの女の子たちのキャッキャウフフを楽しむ作品だったとも言えそうな気がします。
最初に女の子たちを襲った不可思議な現象を、あーでもないこーでもないと調査するのはある意味とても部活モノっぽいですし。
なにか目標があるにしても、そこに至る過程での仲間との交流はそれはそれで貴重なものなんだ、みたいな。
それもあってか、最後の他愛もない喧嘩や仲直りや別れだったりが、統和機構という世界をとりまくシステムや世界の危機といったものと同じくらいの重さに感じられましたし。

男キャラがほぼ脇役となっていることもあって、萌え四コマと呼ばれる作品、あるいは百合モノなどと呼ばれる作品を好む人にも結構勧められる作品じゃないかなんて思わなくもないぐらい、にやにやできる作品でもあるんじゃないでしょうか。

ブギーポップ・ウィズイン さびまみれのバビロン (電撃文庫)
ブギーポップ・ウィズイン さびまみれのバビロン (電撃文庫)

*1:エンブリオ炎上が出た2000年は近年じゃないじゃねーか、という意見はなしで

*2:その他にもザッピングシステムというか、ある巻の登場人物やキーアイテム、キーワードが他の巻でも登場するところも面白いと思っていました。しかしそれも巻数が増え、他出版社での作品が増えていくと既視感があるけど思い出せない、あるいは前の作品で出たのか新しい要素なのか判別が付かない、というケースが増えてきて、こちらにも複雑な感情があったり

*3:しかし上遠野浩平作品という意味では前述のビートをはじめ、たくさんの本が出版されているのですが