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藤四郎のひつまぶし

プロの素人によるブログ

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牛たん焼きは米軍の残り物から生まれたか?

ビジネス 考察 雑記

牛たん焼きの発祥の地は? と言われて、仙台を想像する人は少なくないだろう。
現在に続く牛たん焼きという食べ方は、戦後の食糧難の時期に仙台にて誕生したようだ。
牛たん焼きの生みの親と言っていいだろう人物が、当時焼き鳥を中心とした飲食店を経営していた佐野啓四郎。
牛たんの切り身を味付けし、焼くという現在の牛たん焼きは彼の創意工夫から生まれたようだ。
仙台牛タンの歴史|牛タン専門店情報サイト「仙台牛タウン」

さて、この牛たんの誕生について、一つの説がある。
米軍余り物説だ。
当時進駐してきた米軍は牛肉を食べていたが、タンやテールは食べていなかった。
その余り物を利用して生まれたのが牛たん焼きだというものだ。

この説は先のリンク先では否定されている。
だがウィキペディアでは言説の出所不明ながらも、『米軍の残り物説について仙台牛たん振興会は全面否定しているが、佐野はむしろ公式見解として認めており、自信のある元祖とイメージダウンを嫌う新規参入業者との間で見解の相違が生じている』との記載がある*1

気になって調べてみたところ、ある程度納得できる仮説に辿り着いた。

  1. 戦後、アメリカからの物資に牛たんが含まれていた可能性は低い。
  2. 米軍が日本産の牛肉を食べていた可能性も低い。
  3. 戦後の闇市では米軍の余り物自体は流通していたと考えられる。
  4. 米軍の余り物とした方が都合がよかったり、あるいは単純に混同されたりして、牛たん米軍余り物説が誕生したのではないか。
戦後、アメリカからの物資に牛たんが含まれていた可能性は低い

これは先の仙台牛タウンのページ内にも記述がある。

仙台牛タンの歴史|牛タン専門店情報サイト「仙台牛タウン」

 仙台牛タン焼きの誕生は定説では昭和初期に当時、仙台に駐留してたアメリカ兵が食べ残した牛肉の余剰部分を利用したのがはじまりとされてきました。しかし調査をしてみると当時、アメリカ進駐軍は、アメリカ本土から牛肉を解体したものを輸入していたため、牛タン自体はほとんど輸入されていなかったそうです。

考えてみれば、アメリカで育てた牛をそのまま空輸・海上輸送し、日本で屠殺・解体するよりも、米国内で解体した方が自然だという理由が二点ほど浮かぶ。

  1. 米国内で加工することで、米兵が食さない部分を輸送しなくてすみ、効率的
  2. 米国から輸入された牛を米兵や日本人がまだ混乱が続く現地で屠殺・解体するよりも、米国内ですでに確立しているルートで加工する方が自然

アメリカからの物資に牛たんが含まれていた可能性は低いと思われる。

米軍が日本産の牛肉を食べていた可能性も低い

米軍余り物説の変形になるかもしれないが、米軍が日本産の牛肉を食べ、その余り物の中に牛たんがあった、とも考えられなくはない。
しかしその可能性も低い。
なぜならば『占領当初から、連合国最高司令官は、占領軍が日本の食料を利用することを禁止した』からだ*2
これは私有財産の略奪を禁じるハーグ陸戦条約との兼ね合いに加えて、当時の日本に食料が足りていなかったこと、また時折衛生状態がわるい食料が出回っていたことなどから出た指令だったようだ。
略奪、あるいは略奪まがいの徴収が全くなかったとは言い切れないが、わざわざと殺場などまで赴いてまで牛肉を調達してきたとも考えにくい。

この食料の利用禁止は1947年にリンゴを購入することが許可されることを皮切りに、緩和へと向かっていく。
肉の利用が許可されたのは1949年だった*3

佐野啓四郎が牛たん焼き専門店を開いたのは1948年(昭和23年)*4
佐野啓四郎が牛たん焼き専門店を開業するまでは、おそらくほとんどの米兵は日本産の牛肉を食べていないだろう。

戦前・戦中の肉食文化と戦後の状況と牛たんの出処

明治維新後、すき焼きなどが庶民に食べられ始めたようだが、都市部以外では昭和に入っても獣肉は一般的とは言いがたい部分もあったようだ。

1941年(昭和16年)秋から翌年春にかけての柳田國男を中心とした「民間伝承の会」のメンバーによる食事調査によれば、『宮城 漁業従事者は獣肉食をしない。最近豚を飼育するものもあるが屠殺して食べることはめったにない』といった状態だったようだ*5

そして戦後の闇市では配給だけでは栄養失調になってしまうような状況から、『軍の隠匿物資や連合軍からの放出物、あるいは残飯なども上手に繰り回しされて、なんでもかんでも飛ぶように売れたそうである』*6

それまで獣肉を食べる習慣があまりなかったと思われる宮城でも、好き嫌い、慣れ不慣れなど言えるような状況ではなく、獣肉を食べる機会が増えたのではないだろうか。

そして闇市が開かれていたころは戦中から続く配給制の時代。
闇市で売られている物資は出処を明らかにできないものばかりで、前述のように連合軍の余り物として流れてきた物資も多かったはずだ。

そのような状況で、それまで食べられていなかった牛の内蔵については、米軍の余り物という説が流布していったのではないだろうか。
実際には佐野啓四郎は県内や山形のと畜場をまわり、牛たんを確保していたようだ*7
しかしそういう場所で調達された牛たんが出されていても、闇市の特徴から、米軍の余り物だと解釈する人がいてもおかしくないだろう。

また最初のwikipediaの『米軍の残り物説について仙台牛たん振興会は全面否定しているが、佐野はむしろ公式見解として認めており、』という部分について、本当に佐野(啓四郎)が述べていたと仮定した場合にも、一応の説明はできそうだ。
まず、佐野がそのように公言していたとしても、実際に牛たんが輸入されていた可能性も、米軍が日本の牛を食べていた可能性も低い。
そのため佐野が入手した牛たんの実際の産地は日本となる。
しかし具体的に調達元を公表すれば配給制を守っていない調達元が摘発などされるかもしれない。
よってその隠れ蓑として米軍の余り物と称していたのである。
まぁこれは佐野が本当にそう述べていたという資料が見つからないのであくまで説明可能というだけだが。

最後にもう一度まとめよう。

  1. 戦後、アメリカからの物資に牛たんが含まれていた可能性は低い。
  2. 米軍が日本産の牛肉を食べていた可能性も低い。
  3. 戦後の闇市では米軍のあまりもの自体は流通していた。
  4. 米軍の余り物とした方が都合がよかったり、あるいは単純に混同されたりして、牛たん米軍余り物説が誕生したのではないか。
今後の課題

今回の調査で個人的にはある程度しっくりくる仮説が立てられた。
だがまだ資料が完璧に揃っているとは言えず、情況証拠と呼べる部分も多い。
今後よりはっきりさせるためには

  1. 当時仙台周辺に存在していた牛たんは国産のものだけだったかわかる資料
  2. 戦前からの牛肉の生産、輸入、消費(特に宮城、仙台周辺のもの)の状況を示す資料
  3. GHQで牛肉が消費されていたか、されていたとすればその出処、加工状況などがわかる資料
  4. 当時の生活や流行った噂などを検証している資料

などを探してみるべきだろう。

そうすることで、より正確な情報になると思われる。

*1:牛タン - Wikipedia

*2:解説:安藤仁介/笹本征男 訳:笹本征男『GHQ日本占領史3 物資と労務の調達』P109

*3:同P110

*4:味太助の歴史 | 仙台牛タン発祥の店 味太助『牛タン焼きは仙台が発祥地とされる。「味太助」の初代、佐野啓四郎(故)が昭和二十三年、仙台市中心部に牛タン焼きの専門店を開き、全国にその味を広めたことによる』

*5:江原絢子・石川尚子・東四柳祥子『日本食物史』P260

*6:江原絢子・石川尚子・東四柳祥子『日本食物史』P303

*7:仙台牛タンの歴史|牛タン専門店情報サイト「仙台牛タウン」