まおゆうのアニメ2話を、魔王と勇者め、1話に続いてラブラブしやがって…ぐぬぬ…と見てました。
でそれとは別にまおゆうに関しては色々な話がネットから入ってくるわけです。
アニメを見ている限り、勇者が剣を鈍らせたのは魔王に一目惚れしたからで、その後の説得も惚れた弱み。
かつ魔王もいずれ来るであろう勇者に恋焦がれていた王女であって、2話でそのべた惚れっぷりが発揮される、が私から見えるアニメまおゆうです。
なのにまおゆうに関して入ってくる情報では、そこら辺より思想とか経済とかそういう部分が多い。
こりゃ原作も当たらないといけないな、と思って原作をまとめサイトでちょろちょろと読んでいるわけです。
魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」まとめサイト
で、読み進めている内におや、と思うところがありました。
具体的にはこちらの記事についてです。
「必要悪」という言葉はしばしば犠牲を強要する口実となる - 法華狼の日記
そこで最終的に「必要」という単語を選択し、読者も過程にすぎないとして擁護にまわりがちだから、思想面から批判されるのではないだろうか。
作品自体、多くのスレッドをまたがる長大さで、複数視点で描かれているのに、ほとんどエクスキューズらしい描写がなかった。普通なら、「キャシャーン無用の街」のようなエピソードを入れたくなりそうなものなのに。どちらかといえば作劇的な欠点だが、その欠点ゆえに反感を抑えられなかったという感想。
私はキャシャーンの「キャシャーン無用の街」を知らなかったので調べたのですが、こういう話のようです。
第16話「キャシャーン無用の街」。
破竹の勢いで進撃するアンドロ軍団は、巨大な武器製造工場のあるブッキー市を次の攻略目標に定め、その隣町のハテナイ市を駐屯地にすることを決定した。それを聞いたハテナイ市では緊急会議が開かれたが、ここでは逃げるか戦うかの議論は起こらなかった。
というのもハテナイ市の市長は絶対平和主義者であって、彼の一存でハテナイ市の降伏は最初から決定していたからだ。中略
キャシャーンはハテナイ市を諦めてブッキー市に移動しようとしていたが、そこへ瀕死のハテナイ市民が救援を求めてやってくる。キャシャーンが街に戻ってみると、すでに市民は全員虐殺され、廃墟だけが広がっていた。ロボットにリンチを受けて息も絶え絶えになった市長は、街を見渡して言う。
「これが・・・私のつくった平和か・・・」
しかし、市長は最後まで「自分が正しいと思っている」と言いながら死んでいくのだった・・・。
ここから考えると、エクスキューズの描写が欲しい「必要」なものは、「戦うこと」、あるいは「犠牲」あたりではないかと読み取れます。
また直前に法華狼さんの過去の記事が引用されています。
批判してきた東京裁判を擁護して「しかし…」「時計の針を元に戻すわけにはいきません」「戦後という時代を迎えるための生贄が必要だったのかもしれません―――」と戦犯や遺族を激怒させそうな台詞を口にした
法華狼さんの記事は
Naoki Takahashi氏の「まおゆう魔王勇者」解説。まおゆうは本当にネオリベで戦争賛美なのか? - Togetter
を見て気になった、という言い出しから始まっています。
すると最初の引用の
そこで最終的に「必要」という単語を選択し、読者も過程にすぎないとして擁護にまわりがちだから、思想面から批判されるのではないだろうか。
は言葉を足すと、
(まおゆうが戦争賛美ではないという主張がある)そこで最終的に(戦争は)「必要」という単語を選択し、読者も(戦争は)過程にすぎないとして擁護にまわりがちだから、思想面から批判されるのではないだろうか。
と言い換えられると思っていました。
さて、「必要」という言葉は記事の冒頭より
@NaokiTakahashi 批判している人って「いつか卒業するために必要」という魔王のセリフが作品中に出てくることを、把握しているんでしょうか…
2013-01-11 21:04:07 via web to @NaokiTakahashi
この「いつか卒業するために必要」、書籍版の言葉なのかもしれませんが、まとめサイトでもほぼ同じ言葉が出てきます。
「いずれ卒業するために必要」という言葉です。
そちらの前後を引用します。
222 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/06(日) 20:10:40.71 id:Lbanm5QNP
魔王「戦争は争いの一形態だが、争いの全てが
戦争ではない。もっと他の方法で腕比べをしてもいいし
村の子供達が競って可愛い娘に花を届けるのも争いだ」魔王「また、争いは関係の一形態だが、関係の全てが
争いなわけではない。友好的な関係や支援関係だって
この世にあるのは事実だ」メイド姉「じゃぁ、なんで戦争なんか」
魔王「それはわからないが、存在するんだよ」
メイド姉「……なぜ。なぜ?」
魔王「私は、必要だからだと思う」
メイド姉「そんなものが必要だなんておかしいです」
魔王「『いずれ卒業するために必要』だと。
逆説的だが、そう言う事象もあるのかも知れない。
最初から大人として生を受けることが出来ないように」メイド姉「……」
魔王「いずれにせよ、私には判らないことだらけだ」
法華狼さんの記事が念頭にあった私はかなり違和感を覚えました。
これ、魔王が戦争は必要だと思っている、と受け取れますか?
なぜ戦争があるのか魔王には判らない、と受け取るのが自然だと私は思います。
まおゆうの原作は冒頭の通りネットで無料で読めます。
法華狼さんもどうやらネットで読んでいらっしゃるようです。
法華狼さんのブログでまおゆうで検索するとそうであるっぽいことがわかります。
ただ話題になった2010年あたりの記事が多いことから、その頃に読んでいて、最近は読んでいないのかもしれません。
まおゆうは13スレッドで全部読み返すのはかなり時間がかかることはわかります。
「いつか卒業するために必要」で検索しても出てきません。
それで読み返さないといけないなんていうことはナンセンスとも言えます。
それに私はまだ原作をすべて読んだわけではありません。
もしかしたらこの時の魔王の言葉はどこかで変わるか忘れ去られるかして、戦争に抵抗がなくなるのかもしれません*1。
そして『戦争賛美ではない、なぜならその戦争は必要だったから』という理屈を目にしたとき、その擁護の仕方では思想面から批判される、と指摘することにも私は反対しません。
しかし直接引用したと思われる「作品の表現」を確認せずに意見を述べるならば、「作品」の名を出さずにやっていただきたい。
最低でも「作品」の名前を出す以上、その指摘は「肯定派」や「批判派」の方を向いてではなく、「作品」に真摯に向き合ってやっていただきたい。
法華狼さんの過去の記事を見ますと、色んな言説について、しっかり出所をあたっていらっしゃるようです。
そのような方なら、このような記事を見てもまおゆうの原作に本当にそのようなことが書かれているかしっかり調べてからこの指摘の良し悪しを判断できるかもしれません。
ですが私を含め、このような記事を鵜呑みにしてしまう人もわりといたりするんです。
そういう人は原作を当たらないまま、ヘタしたら原作を当たっても誤解・誤読をしちゃうかもしれない、ってことも考えてもらえるとありがたいです。
いや、ちゃんと原作当たって、自分なりに消化して判断しろよ、他の人の記事で満足するな、って言われちゃうと困るんですけどね。
なーんてごちゃごちゃ思っちゃうのは私が作品を「論争の元ネタの一つ」として消費できない偏屈者だからなのでしょうかね〜。
いやーまおゆうのCM、一発目からニンジャスレイヤーのアンブッシュ卑怯やわ〜。
1/14 18:45追記:コメントへの回答記事書きました。
作品に真摯に向き合うこととその先 - 藤四郎のひつまぶし
よろしければこちらもどうぞ
*1:そうなると個人的には限られた時間の内にできるだけ犠牲の少ない方法を模索しながら行動しているように見える魔王がそう変わるのか、となかなか衝撃的ですが