GJ部の展開に身悶える
GJ部はあえて先が読める展開にしているフシを感じるときがある。
例えばメイドの森さんは登場するとき、必ずくるりとその場で回る。
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また主人公のキョロが女の子たちをブラッシングするときは女の子たちが身悶えする。
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これらは話数をまたいで同種のシチュエーションを展開しているが、同じ話数でも似た展開を並べるときもある。
10話ではキョロが書いた絵本を見て、女の子たちがコメントしていくという流れがあった。
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女の子たちは描かれた絵に対して、凶暴そうだ、かわいい、などと言い、後にその絵が自分を書いたものだと気づく。
ああ、絶対怒る、この子たちはあとで絶対キョロのことを怒る、と思いつつも、一視聴者たる私にはどうすることもできない。
ししおどしに水が溜まっていき、カコーンと鳴るのを何も出来ずただただ眺めるような状況だ。
これらの展開をベタな展開、ということはできるかもしれない。
できるかもしれないが、ベタな展開という言葉がGJ部のこれらの展開を正確に言い表しているとも言いがたい。
私はこれらの展開の導入部分を見た時、このシチュエーションを世に出したヤツはイカれてやがる…(天才だ…)と思ったのだ。
森さんがくるりと回るのはまだそこまでではない。
だが男の主人公が女の子に変な気負いなくブラッシングをするというシチュエーションなど思いもよらなかった。
自分が描かれたと気付かないまま、みんなが思っている自分の評価をそっくりそのまま述べてしまう女の子などどうやれば思いつくのか?
果たして思いついたとしても、それをそっくりそのまま電波に乗せて放送するなど、常人に可能なのだろうか?
その人智を超えたシチュエーションは、幾度となく繰り返されることで、あるいは時間をかけて描かれることで熟成される。
最初に訪れる脳天を打ったような衝撃は、脳を揺さぶった後heart(心臓)へと入り込む。
そして繰り返し繰り返しじっくり時間をかけてシチュエーションが描かれていくにしたがって、次第に身体(body)の内側から外側に向かってぞわぞわと広がっていく。私を身悶えさせる。
この快いようでこそばゆいようで、なんとも言いがたい体験がたまらないのだ。
GJ部も残す所あと2回。
最後まで悶えながら見ていきたい。
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