個人的に気になったあいうらに関する記事等と所感
個人的に気になったあいうらに関する記事等と所感をつらつらと。
今後も見つけ次第更新する(予定)。
(2013/5/18)
OPカニ☆Do-Luck!とはなんなのか
あいうらと言えばまずOPカニ☆Do-Luck!を外すわけにはいかない。
カニカニカニカニ! …謎だらけの「あいうら」主題歌「カニ☆Do-Luck!」を考える - さよならストレンジャー・ザン・パラダイス
何回聴き返してみても、どう考えてみても謎だらけの曲です。「何故、5分のショートアニメというフォーマットの中でたっぷり1分もOPに使うのか?」「何故、唐突にスティーブ・ジョブズが出てくるのか?」「何故、アンディ・ウォーホルのシルクスクリーン作品をパロディにしたのか?」「そもそも、何故、蟹なのか?」。
ジョブズのパロディはわかったのですがアンディ・ウォーホルという方は知りませんでした。
ですがストレンジャーさんの記事を見ると明らかなパロディだとわかります。
しかしジョブズパートでカニはiPhoneやiPodなどに代わって使われているようですが、どんなつながりがあるのでしょうか。
あとカニはcrab表記なのに、エビはlobsterやshrimpではなくebi表記ってあたりも謎といえば謎です。
カニは原作ネタかもと思ったのですが、少なくともニコニコ静画の無料配信分で出てくるのは5話冒頭のカニ食べたいくらい。
むしろ4話のエピソードに用いられているメロンパンの方が記憶に残ります。
ストレンジャーさんの記事のコメントによると3巻でカニ食べたいと言っているエピソードがあるそうです。
そこを膨らませたエピソードが入ってくるのか、それともそのエピソードをOPで消化しているということなのか。
演出
あいうらの中村亮介監督は去年公開された映画、ねらわれた学園でも監督をされていました。
ねらわれた学園は細やかな動きも、誇張した動きも両方すばらしかったです。
背景や光の加減なども含めて、登場キャラの多感で情熱的な心情がそのまま映像に表れたような映画でした。
あいうらはねら学とは違うあっさりしたアニメかな?と思ったらさに非ず。
なかなか凝った、変わった演出をしているように見受けます。
脚
あいうらと言えば艶っぽい脚。
まっつねさんがゆゆ式と比較して作品のデザインまで触れています。
脚 - まっつねのアニメとか作画とか
もうちょっと膝から下を頑張ってほしいと脚フェチ的には思いますが、
ゆゆ式のキャラクターの記号度合いからすると
このくらいの方が全体のバランスとしては良い。
(中略)
そう考えると、あいうらがいかに「脚」を魅せるためのデザインになっているかということを実感できます。
引いた絵
私は気づかなかった引いた絵が多いという話。
あいうら 彼女の視線の向こう - 戦略的撤退
引いた映像は彼女の行動のすべてが見える。彼女を取り巻くすべてが見える。
だが、引いてしまうと一つ見えなくなってしまうものがある。
彼女の視界だ。彼女はどんなものを見て、どういう世界の見え方をしているのか。それが引いた映像では見えない。
「引き」や「予感」といった演出の原理を機能させるために、ショートアニメながらロングショットを随所に挿入し、情報量を多く保つ。そして、その情報の引き出しから何が飛び出してくるのだろうと期待へ結び、色彩豊かな美術と端正なキャラクターが画面の意匠を整える。短くともしっかり観てもらえるよう配慮の効いた、細やかで凄い作品だ。
にしさんの引いた絵を使うことで、情報量が増えるのと、キャラの視点とは違った視点になる、って見方、tatsuさんの情報量の多さが疑問や驚きというものの呼び水になるという考え方は両方とても面白いと思いました。
カット割り、パースなど
あいうらはショートアニメです。
にも関わらずなのか、だからこそなのか、衝撃を受ける場面に結構出くわします。
これはストーリーというレベルより、どちらかと言うと絵のレベル。
個人的にはストーリーの波乱の少なさが逆に衝撃でした。
1話なんて茶柱がたって、外に出て知らない人にもらった激辛たい焼きに驚いて、制服のサイズを気にして終わり。
そんな何事も無さそうなストーリーにも思えるのですが、印象に残る場面は多い不思議なアニメです。
これほど、巧さが凝縮されたアニメは過去にもほとんどないのではないだろうか。
技巧派演出と身体性のあるアニメート、この理性と感性のバランス感覚が
1カットも取りこぼさない、という決意の元に作っている。
まさに職人芸のアニメ。
まっつねさんの記事の中でも言及しているトリッキーなカット割りについては私も思うところがありまして。
まっつねさんは1話のバスについて述べているんですが、私は最初バスをスルーしたのかと勘違いしました。
よく見れば背景の場所が全然違うのでバスに乗ったことはわかります。
ですがあゆコングの動きが完全に繋がって見えたのでバスをスルーしたのかと思ったのです。
他にも私がむむむ?とさせられた場面として、例えば3話。
茶麻/あいうら製作委員会『あいうら』3話
岩沢さんが奏香に枕を投げるシーンですが、枕の速度や跳ね返る方向などで空間把握に結構戸惑った記憶があります。
この辺にも繋がりそうな話を「あいうらのレイアウトがどうもおかしい」というタイトルの記事で書いている方がおりまして。
あいうらのレイアウトがどうもおかしい|en
レイアウトの下りからの続きでカット割りにもどうにも違和感がある場面が多いと感じます
(中略)
静止画だと分かりづらいかもしれませんが上二つのシーンは完全に連続したカット割りで要するに全然繋がってません(見ればわかります)
単純に寄るだけならパースやポーズや人物配置変えちゃ駄目ですし、違うならちゃんとアクションを入れるべきだと…
個人的にはあいうらにかぎらずアニメ全般の絵とか演出については最低限理解できる上で面白ければ多少整合性はいいんじゃない? って感じです。
ですがあいうらは前述のように勘違いする*1場面、ぱっと理解できない場面もあるので何とも。
ちなみにパースについては1年以上前、あいうらを手がけるか決まっているかも微妙なころに中村亮介監督が言及していたりします。
松風工房 パースの話
だから、透視図法を、
世界を正確に再現する為の道具であると考えるのは、大いなる誤解であって、
はっきり、嘘をつくための道具でると考えるべきだと思います。それなのに、
僕がなぜ透視図法でレイアウトのパースをとりたいかと言えば、
そのほうが美しいからです。
嘘がゆえに、美しい。
画面内に無数に存在する消失点は、星であり、
その星が引く流星の尾がパースであり、
それらの織りなすハーモニーの、平面構成の美しさが、
二次元で描かれた絵のレイアウトの、美しさの一つの要素であると考えています。もちろんですが、画面中がグリッド線のように、
パースを感じる「流星」で埋め尽くされていたら、
うるさいことこの上なくて…。あくまで、パースを感じる要素を、画面の中にどのような重心とバランスで、部分的に配置していくか。
これはもう、平面構成上の問題になると思いますが。画面の中で部分的に逆パースになったり、
透視図法の理屈上、画面の端のほうでは、人間の目のリアルな見え方からかけ離れてしまった部分があったとしても、
それらも含めて、「美しいレイアウト」であると感じさせる絵を描くのが、
透視図法でレイアウトを描く、醍醐味であると言って良いのではないでしょうか。
このへんとこの間のねらわれた学園のトークショーでの監督の話を聞くに、
・透視図法で書いた絵は人の見え方を正確に再現する絵ではない
・中村監督は基本透視図法が美しいと思っており、透視図法でパースを取りたい
・ただし画面が透視図法で埋め尽くされるとうるさいので、バランスをとる必要がある
・バランスの関係で一部逆パースになったり、透視図法的には正しくてもリアルな見え方とは違う表現になったりするが、「美しいレイアウト」を描こうとしている
という感じでしょうか。
美術設定・背景
背景などもとてもいい雰囲気に仕上がっていると思うのですが、美術設定の一つ、机についておはぎさんが取り上げていたりします。
失われた何か あいうらの机問題を考える
元々この記事を書こうとしたキッカケは、
あいうらの学校に出てくる机の大きさ/横幅が気になって、検証したいからであった。
今回でわかったことは、
・あいうら、ねらわれた学園の学校で使われている机の形は
クリエイティブテーブルというものに近い
・あいうらはねらわれた学園の美術設定を流用している可能性があるということだ。
ちなみに原作のマンガでは、無料配信部分を見る限り、そこまでぎっしりと背景が書き込まれたコマは少ないので原作準拠ということはないはず。
ねらわれた学園の美術設定はとても雰囲気が良かったと記憶していますし、それをTVシリーズでも利用したいと思ってもおかしくない気はします。
邪悪な言い換えをしますと、新規に美術設定を用意するのが難しかったなんて言い方もできそうです。
まぁあくまで想像・推測の域を出ませんが。