毒舌は危ない香辛料で、濫用すれば因果が回ってくる - シロクマの屑籠
こちらの記事を読みました。
この記事は大きく二段の構成になっていて、最初はhagexさんの
優等生が言ってることはつまらない - Hagex-day info
という記事への言及があり、その後に毒舌に対するシロクマさんの意見が述べられています。
後者の毒舌に対する意見の是非について述べるつもりはないのですが、hagexさんの記事への言及の部分がおかしいことになっているので指摘しておきます。
毒舌は危ない香辛料で、濫用すれば因果が回ってくる - シロクマの屑籠
インターネットじゅうのゲスい文章や悪徳ブロガーに目を光らせているネットウォッチャーのhagexさん。彼がリンク先でこんな事を言ってました。
「優等生の言ってることはつまらない。」
「毒舌は面白いし人の心を動かせる。PVを稼げるよ。」
「ネットの良いところは自由に本音を書けることだ。」
「善の部分だけ見ていてもつまらないし、本質が理解できない。」
「上手に毒舌を使いこなせるブロガーになろう」「嘘が無い、ホンネで語れるインターネットをやりましょう」みたいに読めますね。
この部分ですが、『毒舌は面白いし人の心を動かせる。PVを稼げるよ。』は明らかにリンク先の記事では述べられていません。
むしろそれを否定するような部分があります。
優等生が言ってることはつまらない - Hagex-day info
多くの毒舌系エントリーは「会社の飲み会でハゲの上司が隣に座って最悪だった」といったものが多く、PVは稼げていない。
「髪の不自由な上司が飲み会の隣に座ったので、彼が酔った時にこっそり頭頂部を撮影。iPhoneのAmazonアプリのバーコードスキャンをかけたら、リアップが表示された」ぐらい書ける文章力・発想力・行動力がないとダメ。注目される毒舌エントリーは「芸」が問われる。
これは『毒舌は面白いし人の心を動かせる。PVを稼げるよ。』ではなく、「毒舌は面白くないものが多く、それらはPVは稼げていない」と解釈するのが妥当です。
hagexさんの記事で述べられていることは大きく3つで、それぞれ見出しがつけられています。
優等生が言ってることはつまらない - Hagex-day info
その1 毒舌「芸」がないと注目されない
(中略)
その2 誰でも言える正論はつまらない
(中略)
その3 心の闇を見たい
その2の『正論はつまらない』から毒舌は面白いを導き出せると考える人がいればそれは誤りです。
『正論はつまらない』が正しい場合、そこから導き出せるのは対偶の「面白ければ正論ではない」が正しいことだけです。
「正論でなければ面白い」、「毒舌であれば面白い」が正しいとは限りません。
hagexさんの文章では『誰でも言える正論はつまらない』かつ、『多くの毒舌系エントリーは』『PVは稼げていない』と述べられているのです。
hagexさんの記事は、
優等生が言ってることはつまらない - Hagex-day info
確かに単なるネガティブ発言ではPVは稼げないが、私はドンドン投稿して欲しい。
とhagexさんが述べていることも加味して、
「正論はつまらないが、毒舌でも注目されるには芸、テクニックが必要。ただそういった記事が注目されるかどうかとは関係なく、自分は人の心の闇を見たい」
と解釈するのが適当かと思います。
なので、
毒舌は危ない香辛料で、濫用すれば因果が回ってくる - シロクマの屑籠
hagexさんは「毒舌を使いこなすには一定以上の修練とウィット、なにより用心深さが必要だ」と心得ていらっしゃる筈です。にもかかわらず、リンク先にはそういう事はちっとも書いてなくて、
という部分が誤りになっています。
そしてこのhagexさんへの言及の結論部分、
毒舌は危ない香辛料で、濫用すれば因果が回ってくる - シロクマの屑籠
もっと言うと、あの文章を読んで「そっかー、毒舌を織り交ぜたほうが面白いんだなー」なんて鵜呑みにしちゃうようなイノセントな人には毒舌なんて使いこなせるわけがないので、結局のところ、あの文章は初心なネットユーザーを毒舌のダークサイドに引きずり込む以上の効能が無いと思わざるを得ないのです。
も『「そっかー、毒舌を織り交ぜたほうが面白いんだなー」なんて鵜呑みに』することが起こりえず、誤りになっています。
よって修正か追加説明をしたほうがいいと思います。
ここからは余談ですが、これらの記事を読んで、それでも毒舌を試したいという人のためのリスク低めの練習方法を見かけなかったので私見を。
安全を考えるなら、毒舌は匿名で1回それっきりのコメントや記事から始めるのが無難です。
そこで反応を調べてから特定のアカウントなり、ブログなりで継続していけば、加減のできない過去の記事を掘り起こされて炎上する可能性も限りなく低くなります。
いい記事やコメントがかけたときにそれを自分と紐付けられないのはもったいないと思うかもしれませんが、最初からうまい文章が書ける人はまれです。
小説を読んでこれなら自分でも書ける、と賞に応募しても大抵受からない、って話と似ています。
読むのと書くのは大違いです。
匿名の記事なりを書いたけど反応やアクセスが少ない場合、反応やアクセスを求めて、現時点でネットで活動しているアカウント、例えばTwitterアカウントで紹介したくなるかもしれません。
しかし自分と紐付けられる可能性を考えれば放置が無難です。
実名と紐付けられているFacebookなどのアカウントであれば更に。
毒舌が炎上して、それが実名と結びついている場合、最悪死にます。
岩手県議:小泉氏死亡、自殺か 病院非難でブログ炎上− 毎日jp(毎日新聞)
匿名の記事で反応が少なければ、自分の毒舌には魅力がなかったと諦める方が良い結果になるかと思います。
匿名の記事で自分が傷つくような反応を多くもらうようならば、それに耐えられるか、それ以上の見返りが望めるか冷静に判断するのがよいでしょう。
また実名ではないブログなどで、毒舌と自分で認識していない記事であっても、その記事への反応によってはブログを書けなくなるぐらいのショックを受けることぐらいはあります。
毒舌を言っているわけでもない、むしろみんなの共感を得るであろう内容を書いているブログが、私の記事を批判的に取り上げた時がありました。
そのとき私のとった行動の結果、そのブログは休止に至りました。
しかもその筆者は何か書こうとすると気持ちが沈む、心が穏やかでなくなるといった後遺症的なものまで残っているようです。
気持ちもブログも切り替えて新しい記事を書こう、という気持ちはあっても、先日の記事のように自分の書いた文章で誰かが傷つくかもしれない、と思うとどうしても書く手が止まってしまうのです。
というわけで、自分の毒舌を試したいなら安全性の高いしかるべき場所で練習するのがいいかと思います。
そして毒舌であろうがなかろうが、ネットに何かを書いたとき、ものすごいショックを受けることがあると自覚しておくと良いかと思います。
以上余談でした。