というのは「赤村崎葵子の分析はデタラメシリーズ」のヒロイン、赤村崎葵子がとあるシーンで言うセリフ。
このシリーズはジャンル分類するならミステリーに該当する。
特徴としては一つの出来事について複数披露される分析を読み、それぞれのキャラで分析結果が違う背景や本当の事実関係を考える、といった楽しみ方ができること。
自分が読むきっかけは大きく2つ。
まずgurgur717さんのブログ、この世の全てはこともなしの紹介記事を読んで興味を持ったこと。
もう一つがtanamiさんのブログ、ぱっしょんで既読前提の内容分析記事が書かれたこと。
これなら自分も読んで満足できるだろうと判断、シリーズ既刊の2冊を購入、読了に至った。
そして自分もたなみさんの記事に似た、このシリーズの内容についての既読前提の記事を書き留めておきたい。
ということで作品のネタバレなし紹介記事としては前述のこの世の全てはこともなしの記事2本を紹介しておく。
ただし2作目、続の方の記事は微妙に内容に触れる部分があるので本当にまっさらな状態で楽しむなら1巻の記事のみに留めておいてもよいかもしれない。
この世の全てはこともなし : 赤村崎葵子の分析はデタラメ 十階堂一系 電撃文庫
この世の全てはこともなし : 赤村崎葵子の分析はデタラメ 続 十階堂一系 電撃文庫
ということで既読前提の記事になるんだけど、その前にネタバレ文面が目に入ってしまわないようにクッションとなる文章を多少。
まずこの小説は有り体に言って気に食わない。
というか気に食わないのは小説の構造であり、その構造にした作者、十階堂一系先生の考え方だ。
このシリーズの分析は赤村崎葵子の分析、違うキャラによる分析、巻末の裏分析の3つが基本になっている。
裏分析は裏設定を本編キャラが述べる形になっているが、そこでも事実をあやふやにしたり、取り上げていない謎があることをほのめかしたりする。
そのほのめかしのとおり、本作はじっくり読んでいくと裏分析でもふれられていない不自然な部分も発見できる。
場合によっては主人公のトキオが無意識なのか意識的なのか、地の文で真実を隠すような表現を使ってもいる。
1巻のあとがきで作者の十階堂一系先生は、楽しませてもらうという受け身の姿勢では何事も楽しめない、楽しもうという姿勢で望めば物語は鮮やかさを増す、それを体験してもらうために裏分析コーナーをつけた、といったふうなことを述べている。
個人的にはこれもまた楽しみ方を狭めてしまう姿勢に見えてしまう
私はエンターテイメントはがっぷり四つで取り組まなくて「も」よいと思っている。
例えばアニメやマンガならば全話を見ずとも、途中から見てもよい。
何なら画面をほとんど見ず、他の作業をしながら音だけ聞くのが中心といったアニメの見方や、セリフ中心で絵は流し見、あるいはその逆といったマンガの見方でも、楽しめれば何でもいいと思う。
音楽なんてがっぷり四つの真逆、「ながら」が合うエンターテイメントの最たるものだ。
音楽を聞きながら他の作業をするのは多くの人が経験しているはず。
そして小説も同様だと考えている。
推理小説なら謎は推理せずともよい。
犯人と直接対決する探偵になろうとせず、探偵の鮮やかな回答を待ち望む観客の1人になってもいいだろう。
最初に最後の章で答えを見てから、答え合わせをするように最初の章を読み始めたっていい。
仕掛人が想定したエンターテイメントの楽しみ方は、ある程度の楽しみを保証してくれるかもしれない。
しかし私はそれよりも個人個人の楽しみ方の方が大事だと思っている。
そういうわけで赤村崎葵子の分析はデタラメシリーズは十階堂一系先生の楽しみ方を前提とした構成、表現になっていて、それをあとがきで明言してしまっていることが気に食わない。
なので作品を積極的に楽しもうという気が起きない。
だからここからの分析はあくまでtanamiさんの分析記事の力の入れ具合が面白く、その真似事をしたいと思ったからしているだけだ。
分析しました(マジギレ)
分析しました(激おこスティックファイナリアリティぷんぷんドリーム)
誰も書いてくれないからぼくがこんなに苦労する羽目になるんですよ!責任とって下さい!
『赤村崎葵子の分析はデタラメ』を分析する。 - ぱっしょん
『赤村崎葵子の分析はデタラメ続』を分析する。 - ぱっしょん
さて、tanamiさんは赤村崎葵子の分析はデタラメの記事で何かおかしいけれど分析する材料が足りなくて答えがだせないことがあるだろう。そんなときは無理やりに答えを出さないことにする
というスタンスをとっている。
これは意識してか自然とそうなったのかわからないが、本編を分析し、より多くの事実を開示するが謎は謎として残すこともある裏分析のスタンスに似ている。
書き方のフォーマットも、本編で出てきた順番に謎を取り上げ、分析を並べるという裏分析と似た形式になっている。
それはそれでありかとも思うが、個人的にはもっと人目を引きそうなやり方をしたい。
分析が完了したら、インパクトのある結論を先に持ってきて、自信満々にそれを述べるというやり方を。
それを実践するとこうなる。
- トキオとWilhelmはゲームサイトで知り合った
- 大戸輝明は自宅、三雫との相部屋で三雫が寝ている間に首を吊って死んだ
- 未雫は兄が死んだ部屋で過ごすことができずに寮に入り、それを追ってテルも寮に入った
- トミノは歩いて最大35分ぐらいの距離を電車通学している
- トキオは歩いて1時間以上かかる距離を自転車通学している
- 加茂十美乃は激しい運動ができない体になっている
前半の3つは主に1巻で大きく取り上げられている、作中の1年ちょっと前、生前は赤村崎葵子の性格、言動に多大な影響を与え、死後も主人公トキオやもうひとりのヒロイン三雫を含めた3人の関係性に影響を与えている大戸輝明の自殺に関係した話だ。
後半の3つは主に2巻で大きく取り上げられている、作中の2年前、トキオの中学3年の夏に起こった出来事に関係している。
では大戸輝明の自殺に関係する話から分析していこう。
トキオとWilhelmはどうやって知り合い、チャットをする仲になったのか?
これについて2人の出会いが直接描かれている部分は見つけられなかった。
だがヒントとなる事実がいくつかある。
まず作中の二年前、トキオが3年の夏に起こった事件について、トキオが三雫さんにはチャットで散々世話になった
(2巻P234)と述べている。
つまりふたりはそれ以前からチャットをする仲だったと読み取れる。
大戸輝明が自殺したのは春でこれなら夏にはどうなっちまうんだ?
(1巻P236)という時期の一年ちょっと前
(1巻P266)。
つまりトキオたちの中学卒業近くから高校入学直後ぐらい。
最低でもトキオの中学3年の夏から中学の卒業近くまでの間、Wilhelmのアカウントは輝明と三雫で共有されていた。
この期間中ずっとアカウントを共有していたのだったら、そのアカウントが最初からチャット目的だったとは考えづらい。
輝明が使っている間に三雫の知り合いが話しかけてきたり、その逆があったりと使い勝手が悪すぎる。
チャット目的のアカウントであれば三雫はすぐに別アカウントを作っていただろう。
ではなぜアカウントの共有に不都合がなかったのか。
それはアカウントの性質が一時的に他のアカウントと区別できるだけで問題ないものだったからだ。
この性質をもつのがゲーム関係のアカウント、それもオンラインRPGやソーシャルゲームといったものではなく、将棋や囲碁、ポーカーや大富豪といったテーブルゲームサイトのアカウントだ。
固有のデータを持たず、毎回ランダムにマッチングした相手とゲームを楽しむだけならば、ゲーム中他のプレイヤーと識別できるだけで十分。
そういったサイトでゲームをしている輝明を三雫が見て、アカウントを借りてゲームをするようになったと考えるのが自然だ。
輝明は毎回適当なプレイヤーとマッチングしていたのに対して、三雫はプレイヤーが少ないマイナーなゲームをするようになったのか、固定の部屋を使うようになったかして、いつも顔を合わせるプレイヤーと仲良くなった。
それがトキオだった。
二人は同学年ということもあり、共通の話題があったりして、次第にゲームではなくチャットをすることが中心になる。
その段階でも輝明はほぼゲームしかしていなかったか、あるいは興味を失ってログインしなくなったため不都合はなかったのだろう。
場合によってはゲーム中はチャットに誘わないといった暗黙の了解があったのかもしれない。
大戸輝明と三雫の部屋
さて、アカウントを共有していた二人だが、部屋も相部屋で過ごしていたのではないか。
先ほど輝明がPCでゲームをしているのを未雫が見てプレイし始めたと推理した。
もし二人がそれぞれ別の部屋を持っていたなら、そのような機会に遭遇する確率は減る。
そして別の部屋、別のPCで一つのアカウントを共有していた場合、片方がログインしているとき、もう片方がログイン出来ず不便だ。
二人は相部屋、おそらくPCも共有していたのではないだろうか。
2人の部屋にパソコンがあったのではなく、大戸家にパソコン部屋があった可能性もあるが、確率は低い。
なぜなら、三雫は寮にパソコンを持ち込む生徒なんてめったにいない
(1巻P199)のに、白いノートパソコンで毎晩カタカタやってる
(1巻P199)。
ノートパソコンは安くはなったとはいえ、それでも気軽に買うものではない。
周りがほとんど持っていない寮に入るとき、新しく買ってもらったというのも大義名分が立ちにくく、考えづらい。
もともと自分用、あるいは兄妹用だったノートパソコンをそのまま寮に持ってきたと考えるのが自然だ。
テルと三雫はなぜ寮に入っているのか
少し話が変わる。
どうしてテルと三雫は寮に入っているのだろうか。
まずスポーツ特待生としてではない。
寮に入っているテルと三雫はふたりとも文化部で、それも1年生の時からだ。
しかも三雫は苦手なんですよね、頭を使わないゲームって。私、不器用だから
(2巻P131)とまで言っているし、テルも中学・高校とテニス部に所属したわけでもなければ運動部で体を鍛えたわけでもない
(2巻P47)。
そして特進コースだから、というものでもない。
テルが特進コースの場合、一年生のとき、「テルと呼んでほしい」ってクラスで自己紹介
(1巻P33)したのを聞いていたトキオも特進コースになる。
だがトキオは自転車通学だ。
そもそも勉強のための寮であるなら、自主学習などの時間を設けるはず。
それではテルの分析部の活動がかなり制限され、休日自由に出歩くのも難しくなる。
では僻地、遠方だからか。
それも違う。
市内をぐるりと回ってテーマパークへと向かうバス
(1巻P101)の中で、トキオはまさしく赤村崎葵子を生んだ街にふさわしいひねくれたネーミングセンスだ
(1巻P101)と言っている。
つまりテルは市内の生まれ。
生まれはこの街だが、引っ越しなどをして今は遠方から通っているという可能性も、三雫とテルが幼稚園のころから一緒。
(2巻P84)という事実から2人とも同時期に引っ越して同じ学校に入るといったケースでないと成立しないため否定される。
なのでテルと三雫は自宅から通学可能だが、あえて寮に入ったと考えられる。
その理由はなにか?
それが輝明の死ではないか。
輝明の死と2人の寮生活
先ほど三雫と輝明が相部屋であった可能性をあげた。
もし輝明が首を吊ったのが自分の部屋、三雫との相部屋だったらどうだろう?
まだ十時なのに。人が隣で宿題やってるってのによくぐーすか眠れる
(1巻P199)三雫を横目に、輝明がテルに帽子をあげたその日の夜に首を吊った
(1巻P264)としたら。
翌朝目を覚ました三雫が、別れの手紙に気づいたときには、もうセンパイは死んでいた
(1巻P264)としたら。
三雫はその部屋で生活を続けられるだろうか?
三雫が部屋に物を置かない人間
(P242)なのは、兄を思い出させる部屋の荷物を寮に持ってきたくなかったからではないか。
家族を傷つける悲しみを共有するトキオと交流するためのパソコンを除いて。
そして名前を理由にして親子が不仲になる
(2巻P277)と考え、本名は決して使わず『テル』というアダ名で呼ばれたがるテル
(2巻P277)は傷心の三雫を心配するのと同時に、親元を離れられる方法として寮に入ったのではないか。
おそらく学校の寮は基本的には遠方の生徒のためのものだ。
だが公立よりコスト意識が高いであろう私立であることを考えれば、トキオの学校は入寮希望者数より部屋数が多い状態が続くかぎり、遠方でない生徒の受け入れも行うだろう。
といったところで大戸輝明の死に関係する分析はおしまいだ。
本作で登場する場所の位置関係
トキオ中学3年の夏の事件に言及する前に、一見無関係そうだが本作に登場した場所の位置関係を整理したい。
まず、トキオの実家と母親が入院している病院は家、歩道、車道、歩道……横断すればたった三分で行き着く場所
(2巻P259)で、横断歩道遠いから、歩いて五分
(2巻P200)の場所にある。
そしてその病院は、学校の寮から走っていける場所にある。
2巻分析3で神田なつみとゲームをしていたトキオが電話でいま寮で暇している
(2巻P186)と言うテルに手助けを頼んだあと、テルは走って病院にやってきた。
その到着時間はテルが寮を出発してから電話をかけてきた三雫によるとあと5分もすれば到着すると思う
(2巻P203)ぐらいだった。
そしてテルがやってきたのは、神田の後ろ姿が見えなくなった直後
(2巻P208)で、倒れ込むような走り方をしてテルは駆け込んできた
(2巻P208)。
三雫が電話をかけたタイミングは、火急の要件であることを考えるとテルが出発してまもなくだろう。
そうでなくても、テルの電話から三雫の電話までは長くて10分かかっていないと思われる。
よって寮から病院までの距離は全力で走って5〜15分の間、徒歩10〜30分程度と思われる。
そして高校の寮は学校の敷地内にあると考えるのが一般的。場所は学校と同一とみなしてよいだろう。
すると、高校からトキオの実家までの徒歩でかかる時間は一番遠くなる計算で寮から徒歩30分の病院から横断歩道をわたって徒歩5分の35分ほどだ。
トキオの実家はトミノが現在住んでいる場所だ。
トミノはトキオに帰るんでしょ。一緒に帰ろう
(1巻P15)といった時、朝は私電車だし
(1巻P18)と言っている。
つまりトミノは歩いて最大35分ぐらいの距離を電車通学している。
この距離の分析はトキオの祖父母の家までの距離と同時に分析したい。
トキオの帰る家、祖父母の家は、近くのショッピングモールまで歩いて5分
(2巻P85)。
そしてそのショッピングモールはスエの家はここからすごく遠
(2巻P100)く、スエの小さい妹ひかりはひとりで歩いて帰れるわけがない
(2巻P100)距離がある。
ショッピングモールから歩いて15分の場所
(2巻P101)で開かれる花火大会にはひかりが歩いていく可能性を当然のように考慮しているので、歩いて帰れるわけがない距離はおそらくその2倍である30分以上、おそらく1時間以上といったところではないか。
そしてスエとトキオが幼馴染であるためには加茂家と末蔵家は近い位置にあるはず
(2巻P218)。
どのくらいの近さかは分からないが、ここではほぼ同じ位置にあるとする。
先ほどの引用のとおり、トキオとトミノは一緒に帰れると示されている。
そうであれば2人の帰る家の方角は途中まで一緒のハズだ。
そうするとトキオの祖父母の家から学校までは最短で寮から徒歩10分(走って5分)の病院から徒歩5分ほど戻った場所にある実家から30分以上あるショッピングモールから5分戻った場所。
つまり学校まで徒歩30分の距離になる。
しかしこの場合、トミノが徒歩5分の実家から高校までを電車通学していることになる。
これはさすがにおかしい。
家と駅までが5分、駅から学校までが5分という状況でも、徒歩20分程度の距離であれば方向や電車の待ち時間の関係で電車通学の方がかえって遅くなるかもしれない。
最低でも実家から学校までは徒歩30分はあると考えるのが妥当だろう。
となれば学校から徒歩30分の実家から徒歩30分以上のショッピングモールから5分戻った場所がトキオの祖父母の家が学校から最短距離にあるケースだ。
つまり約55分ほどになる。
トキオは最短でも55分かかる距離を自転車通学している。
これは不自然だ。
徒歩では1時間以上かかりそうなトキオを自転車通学させるなら、最長で徒歩35分程度のトミノも自転車通学させるだろう。中学まで陸上部で短距離走をやっていた
(1巻P14)ことも加味すれば体力的にも問題ない。
このような通学形態になった理由を説明できるケースがある。
それはトミノが激しい運動ができなくなっているケースだ。
では中学まで陸上部だったトミノが激しい運動をできなくなった理由として考えられるものはなにか?
トキオの中学3年の夏に起こった事件、と考えるのがもっとも自然だ。
トキオ中学3年夏の事件
スエが目撃したこの事件の全容は玄関から転がるようにおばさんが出てきて、道に転がって、どんどん近づくヘッドライトの光がおばさんを強く照らして
(2巻P225)、正面衝突
(2巻P225)。続けて出てきたのは包丁を握った血だらけのトキオ
(2巻P226)というもの。
そんな大事件の原因を作ったのは、他ならぬ俺
(2巻P226)とトキオも言っている。
これについてテルは、その事件は交通事故として処理され
(2巻P253)たが、刃物による刺し傷が確認されたならそうはならない
(2巻P253)、つまり、日本の夜に行われる夏の定番で、花火でない
(2巻P255)、人を驚かせ、刃物らしき何かを持っていてもおかしくない、どころか血だらけになっていそうな可能性のあるもの
(2巻P255)、つまり『肝試し』というイベントを諸悪の根源と見抜
(2巻P279)いた。
だが、ここで気になるトキオとトミノの特徴がある。
トミノは疑うということを知らない。占いとか、風水とか、その手のものはなんでも信じ込んでしまう
(1巻P18)。そして、幽霊や妖怪の存在を心から信じている
(1巻P30)。
また虫と怪談と血と呪いと……けっこうなんでも弱
(2巻P170)く、特にお化けの類は弱
(2巻P170)い。
その証拠に1巻で幽霊のような格好をしたテルを本気で幽霊だと思い込んでいた。
トキオはいまではスプラッタな映画は見られないし、人が傷ついているところを見るとつい顔をしかめちゃうし、たとえいきなり殴られたとしても相手が痛がるだろうなってことを考えると殴り返すことができない
(1巻P12、2巻P154)。
この「いまでは」という限定。
これは過去はそうではなかったことを示しているのではないか?
そしてトキオはトミノについて、特にお化けの類は弱くてな、昔はよくビビらせたもんだよ。血のりつけて死んだフリしたりな……
(2巻P170)と述べている。
これらの情報を踏まえて、あるシチュエーションを考えてみる。
トキオが幽霊に扮装して、トミノを本気でビビらせようとし、トミノはそれを幽霊だと信じこみ、どうにかして撃退しようとした、というシチュエーションを。
トキオの攻撃性は話題に上がることが多いが、あまりに脈絡のない質問に怒り狂う俺の脇腹にトミノがヒジで攻撃した
(1巻P54)シーンや怒り狂う俺の脇腹にトミノがヒザで攻撃した
(1巻P54)シーンを見る限り、トミノにもそういった手の出やすさの素質はある。
もしビビらせる目的で幽霊に扮したトキオが、過剰反応したトミノから攻撃を受けたらどうなるだろう?
殴られた時は相手が痛がるだろうというところに意識がいかず殴り返し、人が傷ついているところを見ても顔をしかめることなく、スプラッタな光景も平気であった可能性のある過去のトキオが。
そんなトキオと幽霊を本気で信じこむトミノが地獄絵図を繰り広げる可能性は十分にある。
それこそ片方が包丁を持ち出し、片方が激しい運動をできなくなるほどの怪我を負う地獄絵図が。
そしてその地獄絵図で大怪我をした子供を助けるために、母親が病院に駆け込もうとするのは不自然ではない。
襲ってきたのが悪霊だと信じるトミノは、周りが口裏を合わせれば、それがトキオであったと知ることはない。
だがトキオはそういうわけにはいかない。
家族を2人も傷つけ、それでいてふたりとも自分の悪行を知らない、覚えていないという家庭で過ごすというのはかなり残酷だ。
自分の行いが許されるものなのか、そうでないのかすらわからない。
あとは本編の通りだろう。
このような状態なら、トキオが徒歩一時間以上の距離を自転車通学しているのに、トミノが最大徒歩35分程度の距離を電車通学している逆転現象と、中学まで陸上をしていたトミノが高校で陸上をしていないことに説明がつく。
といったところでトキオの中学3年の夏に起こった出来事に関する分析はおしまいだ。
…いや、つーか…
どんだけ長い記事なんだ…。
分量もそうだがいちいち引用P書いていたら時間もすげーかかっちまったぞおい…。
そんでこの記事が通用するのは最低でも赤村崎葵子の分析はデタラメ1巻2巻読んだ人だけで、その中の何人がこの記事にたどり着くんだよ…可能性どんだけよ…。
同じく分析記事書いていて他のやつも書けオラァ!って荒ぶってるtanamiさん以外に需要あるのかよ…。
どんだけ効率わるいんだよ…。
これが有意義な記事になるには赤村崎葵子の分析はデタラメシリーズがヒットしてもらうしかねぇ…。
しかし赤村崎葵子の分析はデタラメシリーズは気に食わない…。
どうしたもんかね、いったい…。